角田光代著『八日目の蝉』(中央公論社 発行、1680円)を読み終えました。
終わりに近づくにつれて泣けて仕方ありませんでした。
2度読みました。2回目は、話の真ん中あたり ― 子供たちが蝉の抜け殻を並べてる場面 ― で、もう、涙が、どばどば出ました。
この本は、何度も買おうと思って本屋で手にしては、いたのですが「○○氏が絶賛」なんて書いてあるので買うのをためらっていたのでした。
そうです。私は「○○氏が絶賛」なんつーうたい文句は信じないことにしてるんですね。ですが、読みたい気持ちもかなりあったので、文庫になるまで待とうと、ずっと思ってました。
ところが、先日、角田さんの講演を聞きに行った時にサイン会もあったので、サインしてもらおうと思ってこの本を買ったという次第です。
いやー、買ってよかった、です。
今まで読んだ本の中で、ベスト、です。
講演で角田さんは「10代、20代で本を読む技術を身につけておかないと、それ以降の年代になって本を読んでも頭の中でイメージが広げられなくなってしまう。だから、まわりに若い人がいたら、ぜひ本を読むことを勧めてほしい」てなことをおっしゃってました。
はて。私の娘たちはどうだったかな。長女は、よく本を読んでいたけれど、次女は、漫画しか読んでなかったような気がする。本を読めるようになってくれてるといいが…、などと、今では会えない子供たちのことを考えたりしました。
でも、『八日目の蝉』は、筋だけ追っても十分面白く書かれています。ですから、本を読んでイメージが広げられない人でもそれなりに楽しむことができると思います。
ですから、イメージが広げられる人は、さらにさらに楽しめます。
光、色、音、匂い、どんどんイメージは広がります。
それから、角田さんは、「映像にできないなー」「小説だからできるんだよなー」と思わせるようなことをいろいろやっています。
例えば、「だれかが私の名を呼んだ気がしてふりかえった」という場面です。(332ページ)
実は、主人公の「私」は「恵理菜」という名前と「薫」という名前の、2つの名前を持っているのですね。
それで、「恵理菜」と呼ばれたと思ったのだろうか、「薫」と呼ばれたと思ったのだろうか、「薫」だろうな… と思いながらページをめくっていくと…
もう、涙で字が読めなくなります。
こういうところは憎いくらいウマイです。


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