師匠が古典原理主義者、落語界のヒズボラと破門した弟子の川柳川柳から揶揄されるくらいガチガチの古典派で売っていたにも関わらず、この人はLPを出すやら、タレント活動をするやら、その真逆、本業そっちのけで売っていた。
それは同時に「テレビの司会は上手だけど…」という噺家としてはあまりありがたいとはいえない賛辞をいつしか得ることになる。
師匠はやがて、真打ちの基準を巡って対立し、協会から弟子を引き連れて脱退、自らの一門を立ち上げるが、寄席から締め出される。そして、心労から師匠は亡くなる。上野動物園のパンダが死んだ同じ日に。
さて、残された弟子の中で、この人は総領弟子として、仲間たちが食いはぐれないよう、必死になってあの手この手を尽くした。借金して寄席まで作った。「テレビの司会は上手だけど…」という賛辞を吹き飛ばすために、古典の落語を必死になって発掘し、自らのものにした。いつしか、人情噺の大家と呼ばれるようになる。
三遊亭圓楽という人は、師匠の三遊亭圓生の名前を継がなかったのではなく、継げなかったんだとは、あとからわかることだ。確かに継げなかっただろう。木久蔵が、師匠彦六の名前を継がなかったのと理由は同じだ。
桂歌丸が、落語家が死ぬと、その人の技まで死んでしまう。我々はすぐに次をこしらえられない。大損害だと嘆いていた。星の王子さまは、今、まさに夜空へ輝く一つの星になったのだ。
合掌。


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