ちょっと感情的な記事ばかりなので、ちゃんと考えて記事を書きます。
最近、死ぬことばかり考えているわけじゃありません。
ただふとホームに飛び降りたくなったり、刃物を手首に当てたりしてしまうだけ。
死ぬのが怖いのと、生きるのが面倒臭いという思いがあたしの中に同居しています。
正確に言えば「死ぬのが怖いから生きている」んです。
もしあたしが強制的に死に連行されるようなことがあるなら、喜んで受けます。
例えば後ろから誰かに刺されたり。
自分を取り巻く感情がうざったい。
その感情はもちろん自分から出ているものだけれど、あたしが好きで出しているわけじゃない。
それが生きている証といえば、そうなんだろうけど、今のあたしに好ましいものではないんです。
喜怒哀楽の全部が要らない。
歓喜で生きようと思うから、嫉妬、羨望、不安、焦燥に襲われる。
「人生、生きてればいいことある」
でもそれと同量かそれ以上の嫌なこともあるんでしょ。
だったら終わらせたいんだよ。
今、辛うじて頑張ろうと思うのは、家族がいるからです。
病気でもう長くはない祖父よりも、早く死ぬわけにはいかない。
せめて祖父の記憶の中のあたしはいつだって元気であってほしい。
結局、あたしの人生は人のためのものなんです。
「自分」だけじゃ生きている価値を見出せません。
隣にいる「誰か」があたしを必要としてくれるなら、生きる。
それが自立とかけ離れているといわれても仕方がない。
今、きっと情緒が落ち着かないのは、誰からも必要とされていないと感じるからだと思います。
「要らない子」
それが今の自分自身に対する評価です。
「いたらいたでいいけど、いなきゃいなくてもいい」存在。
これがあたしが感じる周りの人間からのあたしへの評価。
あたしが死んで、泣く人なんかいるんだろうか。
あたしの代わりなんていくらでもいる。
あたしが「あたし」でなければならないという必要性は限りなく低い。
「存在意義」
あたしの「存在意義」って、何?
結婚願望がやけに強いのはそのせいなんだと、最近わかった。
少なくとも、あたしと人生を共にしてくれるということに憧れているんです。
人生を送る上で、隣にいてほしい、と。
そんな存在になれることは、今のあたしにとって一番の欲求。
でも。
他人どころか、自分すら信じられないあたしが、そんな存在になれるはずがない。
そんな存在になることを望まれてもいない。
あたしは、あたしのことが好きな人が好きです。
これは結局、自分がかわいいから、傷つきたくないから。
相手のあたしに対する好意が確定的なものじゃない限り、あたしはその人を好きなることができません。
捨て身で人を好きになることなんて、これから先あるんだろうか。
今のあたしの恋愛に対するものは、恋焦がれるとかそういう切ないものではありません。
不信感、不安。
あたしの相手への思いではなく、相手のあたしに対する思いが最初に来ます。
人の考えてることを全部理解できないと、信じることが怖いんです。
でもそれもそろそろ終わりにしなければいけません。
「相手が」、じゃなくて、「あたしが」、どうなのか。
結論は出てるんだけどね。
ただ壊れるのが怖いんだ。
あたしの今までの恋愛は介護と同じ。
あたしの意思とは関係なく、相手の意思を尊重した。
結局それは家族愛と似たものなんでしょう。
よく言えば「優しさ」
悪く言えば「他人任せ」
恋愛は、自分の為にするもの。
そんなことは知っている。
でもそれだと、リスクが高い。
だから後手に回って、両方にとって一番無難な選択肢を選んでいただけ。
中途半端な優しさと完璧な自己防衛。
最低なんだと思う。きっと。
大人になります。
傷つくのを恐れない程度は。
違うか。
大きな傷を負う前に、小さな傷を負う決断をする覚悟。
そのくらい、しなきゃ。
社会的立場を求めるにはまだ準備と期間が要る。
だから最初に、こっちからしっかりしなきゃ。
必要とされるくらい、魅力的な人間になればいい。
それだけのこと。
「自分磨き」
頑張ろう。

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