3月出張先で脳梗塞が発症し久留米の病院に入院したとき一番に考えたことは「もうヒマラヤは無理かな」との思いでした。幸いにも処置が早く後遺症もなく、再発を防ぐ投薬と生活習慣の改善で大抵の生活には支障が無いことが判明して一安心しました。
主治医を近所の内科医にお願いし投薬(血栓の治療薬、血圧降下剤、狭心症治療薬)と健康状況観察をお願いし、定期的に心臓センター榊原病院で精密検査を受ける体制で生活習慣を改善することとしました。
まず内科医と相談し、朝起き抜け、夜寝る直前に血圧測定測定しデータ化する。健康リミットを上限160mm、下限100mmと設定し、其れを超えた場合には、処方された「トンプク」を服用と同時に受診する。2週間ごと投薬を受ける際には空腹時血糖も測定するし、一日1回試験紙による「尿糖」も測定している。データは内科医に診せて薬を調節して貰っている。こうして病気と仲良く暮らす方法が確立出来、これが私の健康生活だと考えています。従って、従来通り「山歩き」も再開しました。
こうなると気に掛かるのがトレッキング事業です。1970年代からネパールに人脈を創り、2000年からほとんど毎年トレッキングを実施してきました。カトマンズで受入を担当してくれていたエージェントは毎年のトレッキング隊を当てにしている。パッサリと中止してしまったらシェルパ達の生活にも支障を来すことにもなる。2月山岳会総会で「トレッキングからの撤退」を表明し、後輩の奮起を促したが早速の反応は無かった。
5月頃、30歳代の後輩Y君が自宅を訪ねてくれ世界最高峰エベレストへの登頂の夢を語った。彼は学生時代1986年トリプラ・ヒウンチュリ峰初登頂隊に参加、1990年8000m峰ガッシャブルム主峰西陵初登攀隊にも参加したが、高度順化に失敗し頂上に立った経験がない。「1度はヒマラヤの頂上に立ちたい」が彼の念願なのです。現在の高齢化してしまった岡山大学山岳会では登攀メンバーが集まらない。しかるに岡山県山岳連盟(16山岳会所属)に組織を広げ「オールOKAYAMA遠征隊」を組織する案を語ってくれた。我々ロートルが考えなかった新しい発想です。この案は他の山岳会有志にも情報発信され徐々に具体的になって、7月岡山県山岳連盟役員会で承認されたのです。
計画は4〜5年後にエベレスト遠征計画を実行する。その為各山岳会のメンバーにネパールヒマラヤを認識して貰うためトレッキング事業を実施することになりました。岡山大学山岳会独自事業として行き詰まった業業が岡山県山岳連盟に組織が拡大された継続で継続されることになったのです。昨年私達がトレッキングしたエベレスト街道に16名が入山することとなり、冒頭の説明会となったのです。
カトマンズ・エージェントに早速知らせてやった。16名のトレッキングは彼らにとっては大金の収入源です。今年は後輩の広島県勤労者山岳連盟のパルドール峰登山、ランタントレッキング隊など、合計32名がトレッキングに訪れる。岡山県山岳連盟トレッキングは、エベレスト登山を実行する4〜5年継続されるようです。
今まで、岡山大学山岳会を支えてくれたエージェント、シェルパ達に稼ぎの場を提供してやれることが嬉しい。私も出来たら「炭焼き技術」を指導して、現金収入の道を開発してやりたいと考えています。