先日「食べろ具」を見ていて気づいたことがある。
それは「私の好きな店は、たいがい点数が低い」ということだった。
先だって日記でとりあげた八王子「インドラ」や所沢「サワディー」、石神井公園「龍〜ロン〜」、沼袋「丸長」など、私が大好きでよくお世話になっている店の点数は軒並み3、もしくはその前後で、高得点の目安である3.5に届くような店が全くないのである。
私の舌が味音痴なのかしらとも思ったが、インドラの魚スパイス揚げや龍のちゃんぽんはまさしく一級品だし、サワディーのパッタイや丸長の肉野菜つけそばなども、他のタイ料理屋やラーメン屋と比べても遜色ない美味である、と思う。
私が点数を付けるのであれば、多分どの店も5に近いポイントだろう。
だが、私は食べろ具の口コミに投稿したことはない。
上記の店についても、「何でこんなに点数低いの?」と思いながらもだからといって点数を上げるために一肌脱いでやろうという気にもならない。
私にとって、上記の店の味が良ければそれで良いからである。
つぶれない程度に繁盛していてくれさえすればよい。
別に他の誰かに薦めるものでもないだろう、という気がする。
そもそも味覚というものが「ほぼ」主観によって構成されるものである以上、それを見も知らぬ誰かれと共有することは難しいし、望まない。
「主観」といえば、上記の店については私はもはや「常連」であり、したがって並々ならぬ思い入れもあり店の者とも親しい間柄であったりして、その点でもはや主観以外での評価はほとんど困難である。
「大好きすぎて、点数化なんて無理」という境地である。
たぶん、こういう人は食べろ具のレビュアーには向かないのだろう。
では、どんな人がレビュアーに向くのか?
それは「旅人みたいな人」だろうとおもう。
旅人みたいな人は、個別の店に思い入れを持たない。
よりうまいものや素敵な店を求めて、今夜も街を彷徨うのである。
旅人みたいな人は、だからたくさんのお店を知っている。
たくさんのお店を知っているがゆえに、そしてひとつの店に肩入れしないがゆえに「客観的」で「公平」な評価が可能である、ように思える。
そしてウェブという仮想世界の中で、旅人みたいな人はたくさんの人から信頼されるレビュアーとなる。
たくさんの旅人たちが集まって、食べろ具を形成している。
もちろんその中には悪い旅人もいて、どこかからお金をもらって、特定の店を賞賛、もしくは卑下するようなこともあるだろう。(今更になってこのような行為を槍玉に挙げる向きがあるが、そのような人々はそもそも匿名性をその特徴とするインターネットの世界で、本当に利害関係のない評価だけで構成されるサイトが存在する、と信じていたのだろうか。)
その有象無象の集大成が、私たちの見ている「点数」として表される、ということだ。
ゆえに、「食べろ具で評価が高い」ということはつまり「旅人のような人が居心地が良い店である」ということになる。
常連、非常連の区別なく、誰にでも喜ばれる接客で、さらに誰の舌をも満足させる料理を提供する。そのような店が、ここでは高評価を得るようである。
少し立ち戻って、私が「好きです」と公言した店について、上の基準を当てはめて考えてみよう。
まず「常連、非常連の区別なく」。うーん。これは、ある。
店側に区別するつもりはなくても、常連の側が店員に話しかけてしまうし、それでコミュニケーションが弾んでしまうこともある。弾みすぎて気づけば店員が隣で酔いつぶれていた、などということもある。
これは、常連でない人からすれば眉をひそめて当然の現象である。端的に言えば入りづらい店である。
次に「誰にでも喜ばれる接客」。これは、そうでもない、といわざるを得ない。
上に書いたような「店員と客が話しこんでいる」というのも既にダメだと思うが、私の挙げた店の人間の多くは良い意味でも悪い意味でも個性が強く、「客にあわせる」ということをあんまりやらない、もしくはできない人が多いようである。
旅人の中には「お金を払うのだから、それに見合ったサービスを提供して欲しい」という、いわば受身の姿勢の人が少なからずいると思われるが、そのような人にとっては、こういった店の接客は「なってない」と捉えられかねない危うさをはらんでいるだろう。
さいごの「誰の舌をも満足させる料理」。これについては、よくわからない。
はじめに書いたように、私自身は店の料理にとても満足して幸せを感じるが、旅人のような人がどう思うかはわからない。
旅人たちの味覚も最終的にはそれぞれの主観であることを考えると、ある一定程度以上の味の料理を提供できる店であるならば、そこから先の評価の分かれ目はつまり、「雰囲気」が大きなウェイトを占めることになる、ということが(強引に言えば)言える。
「誰にでも優しい」か「誰かに優しい」か。
これはもはや好みの問題で、そこに優劣はないが、私は後者のほうが好きだ。
そのような店は、私を「大勢の中の一人」ではなく「私という人間」として見てくれるからだ。
そういう店の点数は、低い。
でもそれはそれで、良い。

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