酒井被告に限らず芸能人が犯罪を犯すと、しばらくはマスコミの格好のネタにされる。それだけ社会の関心が強いからだろう。国民からしたら、自分がユメを託していた相手に裏切られたというわけだ。
しかしそんなタレントたちにユメを託した側にも問題がある。こう言ってはなんだが「ただの芸能人」ではないか。その私生活はわれわれ庶民のそれよりもかなり変わっているとみていい。彼らが公園で裸踊りをしても、危ないクスリをやっていても、驚くには当たらない。彼らをみるとき、その芸だけを評価していればいいのだ。間違っても人格高潔なんぞを求めてはいけない。
スポーツ選手についても言える。高校や大学の野球部で、下級生に暴力を振るったとか、女性をレイプしたとかで、ときどきマスコミを賑わすが、野球部というのがどんな組織であるかはおおよそ想像がつくではないか。少なくとも彼らに自分のユメを託したり、人格高潔を求めるのはお門違いなのだ。
昔、甲子園の常勝チームが不祥事で出場辞退を余儀なくされたことがある。そのときチームの監督が『文芸春秋』誌に寄稿していた。こんな内容だった。
−あの子たちは元々はどうにも手のつけられないワルたちだったのだ。それが、野球という自分たちの情熱を傾ける対象を見つけて、ようやくここまでまともになったのだ。世間は「子どもたちのユメを裏切った」と憤慨するけれども、今回の事件なんぞは、彼らの過去の行状を知っている者からしたらまだカワイイもので、むしろよくぞここまでまともに育ってくれたと褒めてもらいたいぐらいだ、と。
たしかに私たちは、彼らの優れた野球センスとガッツにだけ感動していればいいのだ。それ以上に何かを期待してはいけない。
ユメは誰か他人にではなく自分自身に託しましょう。そうすれば誰にも腹を立てずに済む。

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