最近は東宝のサイトも見ていないので、公演が盛り上がっているのかも把握していないが、周囲の観劇仲間は皆口を揃えたように「10年前のレミが観たい」と言っていたので、そんなに酷くなったの?と心配した。キャスト表に目を通す間もなく舞台は始まってしまった。
私自身、音楽の変化には耳聡いほうではないが、冒頭、まだ幕が下りている段階での音楽は、明らかに「太鼓が小さくなった?」と思うような軽い音で、囚人たちが縛られ足を引き摺りながらツーロンの石切り場で労役をしているはずが、何となくマーチングバンドの太鼓のような音色で、テンポも速いように感じた。
"1815年ツーロン"は「ピクニックか?」と思ったけれど、以降は耳にしていたような酷さではなかったように思う。
防備録として、プリンシパルキャストを書いておく。
バルジャン:橋本さとし ジャベール:岡幸二郎
エポニーヌ:新妻聖子 ファンティーヌ:シルビア・グラブ
コゼット:神田沙也加 マリウス:山崎育三郎
テナルディエ:安崎求 テナルディエの妻:田中利花
アンジョルラス:原田優一
ジャン・バルジャンの橋本さとしも大劇場のミュージカルを何本もこなすようになってきて、危なげなく役を見られるようになったと思う。
ラストにファンティーヌが迎えに来て、神に召されるあたりでは、コゼットに言われて「生きて…生きてみよう」というのが、ダメなのをわかった上でコゼットを悲しませないために言う(と感じられる)人も居るが、今日のバルジャンは、元気に行き抜いてしまいそうな力強さがあった。それなのに、あっさりと死んでいくところは、潔いというか、もう心残りも何もなく逝けるのだろうな…と思ったら、無性に泣けてきた。
眠ったように死んでいくのとは違って、息をしているのと死んだことの差が、病院の機器ではっきりと分かる時がある。例えば、心電図がピーと音を立てて、数値がゼロになる瞬間のようなものだが、今日のバルジャンには「あ、逝った!」という瞬間が感じられた。そのあと、コゼットが残された手の感触をどう表現するのかも人それぞれで、神田沙也加コゼットからは、残された感触は感じられなかった。彼女の意識はバルジャンよりもマリウスにあるのかもしれない。
ジャベールの岡幸二郎はもう、この作品の中ではご意見番的な存在なのかもしれない。作品の精神も動き方も、伝承していけるのはスタッフよりもこの人なのかもしれないとまで思ってしまう。
ファンティーヌのシルビア・グラブは以前見た頃よりも、母としての意識がついてきたように思ったのだが、それは、ラストでバルジャンを迎えに来る時に「あぁ、この人は死んでからもずっとバルジャンとコゼットを見守り続けていたのだなぁ」と感じられたからだった。もしコゼットがちゃんと成長していなかったとしたら、きっとバルジャンを迎えには来なかっただろうから…。そう思うと、バリケードの中で少年役で出ているのも、全くの別人ではなくファンティーヌがバルジャンを見届けているようにも思えた。
コゼットの神田沙也加は、髪をロールした鬘をつけず、地毛のストレートの黒髪のまま演じていると、春頃の地方公演を見た友人から教えてもらっていたが、ピーターパンのウェンデイのような鬘を着けることも可能だっただろうが、やはり地毛のままだった。まぁ、髪がどうというよりは、ミュージカルは続けてきているけれど、まだ声が弱く不安定だったという印象が強い。
それよりも、カーテンコールの度に、帰るときには山崎育三郎くんを目で追って、手を繋いではけていったことが記憶に残り(最後のコールでは橋本バルジャンと一緒だったので、育ちゃんを追うことはできなかったようだが)、付き合っているという噂は本当なのだな…沙也加ちゃんのほうが入れあげているのかもしれない…と私情を見てしまうような光景だった。
アンジョルラスの原田優一は、とても正統派の歌い方をするように思う。居住いもどこか冷静で、革命に命を落しそうなタイプではないのだが、芝居の流れを見ていると、冷静だったアンジョルラスが、ラ・マルクの死を好機ととらえて民衆を扇動しようと思ったものの、市民は砦に来ず、そこでの決断…そして、「死のう、僕らは!」とテンションが変化する様子が、よく見てとれた。ある意味発狂に近いような昂揚が一瞬の命の炸裂にも感じられて、彼の死が無駄骨にも思えて、続く"犠牲者たち"への喪失感につながった。
アンサンブルでは、1832年パリでのテナルディエ一味になる、モンパルナス、バベ、、ブリジョン、クラクスーの体格が良かったので、テナルディエ一味の稼ぎは良く栄養も良かったのだろうな…と感じた。
女性アンサンブルは、全体的に声が細く、地声で出ないところを裏声に逃げがちな気がした。かつら屋が誰だったのか、名前は把握していないのだが、ファンティーヌの飾りを買うシーンでの変な抑揚も気になった。
友人たちが言う"10年前"には、ファクトリーガールも、ジベロットも…こういう人!という認識ができたくらいキャラが立っていたので、そこから考えると芝居が薄くなった…という気はしないでもない。でも逆に、やり過ぎ目立ち過ぎの時代があったことも思うと、メインのストーリーに目を向けさせる為には、やり過ぎないくらいで丁度良いのかもしれない。(ま、かなり私的な記憶も含めて勝手に解釈しちゃってるけどね)

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