派遣切りやワーキング・プアが社会問題化してきて、小林多喜ニの「蟹工船」がブームになって映画化されたり、舞台化されたという話は知っている。でも、自分がそこまでのひもじさを体感していないせいもあって、それほどの関心は抱いていない。
この舞台も、内容も知らないのに「井上ひさしの新作」というだけでチケットを予約しておいたのだったが、先日(15日)に初めてみの芝居を観たときは、正直言って長く感じたし、ラストにスクリーンに映し出される顔が小林多喜ニには見えず、観終わってからも"小林多喜ニ"像は浮かんで来なかった。
そして今日は二回目だったのだが…食事をする時間がなかったので、ロビーで売っていた"代用パン"で小腹を満たして観劇に臨んだものの、そのパンが店で一番安いのにも関わらず、いつも売れ残る…という理由が、味からも実感できない。
貧しい人たちは、だれかにお金を搾取されているから、味云々よりパンを買うお金自体がないということなんだよね。
小樽で小林三ツ星堂パン店を営む叔父のもとに、秋田から移住して育った小林多喜ニ(井上芳雄)は、売れ残る"代用パン"を見て、プロレタリア文学に傾倒していく。
「蟹工船」も共産党の冊子"戦旗"に書かれたもので、警察の取り締まりによって、発行禁止になったり、伏字で出されたりする。
組合つぶしの名手とまで言われる特高刑事古橋(山本龍二)と山本(山崎一)は、大阪で捕えた男(井上芳雄)に「お前は小林多喜ニだろう!誰にカンパを渡した!」と問い詰める。
古橋の手法は"戦旗"の読者と分かれば署っ引いて、組合の中心人物を捕り押えてしまうことだ。中心人物が居なくなれば、もはや組合も"烏合の衆"で、簡単につぶせるというもの。
どうも古橋の尋問にも男は落ちなかったようで、一ヶ月後、東京杉並の立野家で多喜ニは静養している。
そこに、小樽から姉のチマ(高畑淳子)と婚約者の瀧子(石原さとみ)がやって来る。立野の留守を預って多喜ニの面倒を見ているのは、売れない女優のふじ子(神野三鈴)で、瀧子はふじ子が恋人の体を拭いてやったり、食事の世話をするのを聞いて、婚約者とは名ばかりで何の進展もない自分たちの関係を嘆く。貧乏な家族を救うために酌婦となっていた瀧子を見受けしてくれた多喜ニだったが、いつまでたっても結婚できず、手を握ることもない。姉のチマは「多喜ニ兄さんと呼ぶから、兄と妹みたいになってしまったのかねぇ」と、実の妹のように思っている瀧子に言う。
多喜ニの外出中に、古橋と山本が大阪から東京に配属が変わったと挨拶に来る。特攻の狙いは多喜ニを捕えることなのだ。
立野が多喜ニに朝食用にと与えたパンの中には、実はメッセージが入れられている。ふじ子は多喜ニ以外の者がパンに触れないように気をつけているのだが、古橋はメッセージを見つけてしまう。玄関には「今は入って来ないで」との暗号を表すバケツを置いたので、特攻が居る間に多喜ニが帰宅することはない。
しかし、翌年多喜ニは捕まり、独房に入れらる。
釈放された多喜ニは、杉並の馬橋に家を借りる。姉のチマが住所を頼りに訪れると、山本と古橋が下宿をしている。警察は都内を区切り、一区画毎に警察官を配して重点的にアカ狩りをしようという魂胆で、古橋と山本が、ここ馬橋の注意人物である多喜ニを見張る役目についたのだった。
チマは、ここに母親も呼び寄せるとなれば狭いし、他人が居ては気苦労ではないか?と弟に言うが、多喜ニは「山本さんは部屋で書き物をしているから静かだし、古橋さんは庭の草取りもしてくれるし、家賃も払ってくれるので大丈夫だ」と答える。
多喜ニの近くに居ることで、次第に多喜ニへの理解が進んだ二人は、山本は自分の執筆を読んでほしいと思い、古橋はせっかく懸賞金がついていた多喜ニが丸くなっては捕える価値もない、と労働者支援のファンを装った読者感想を送ったりする。
山本が恩人の名で書いた捕り物小説の出来の悪さに、多喜ニは「その恩人との出来事を、綴ってみたら」と言う。
特攻の目をかいくぐり、多喜ニは地下活動に身を潜め、古橋や山本の目の届かないところに行ってしまう。
多喜ニはふじ子と共に身を潜め、麻布アパートの一室でガリ版刷りのゲラを書いている。金はふじ子が稼いでしのいでいるのだが、ふじ子が東京の美容学校で勉強をしている瀧子と上京したチマを伴ってアパートに戻る。チマが「ふじ子さんは東京見物に連れていってくれた」と思ったのも、実は追手の目くらませの為だったり、部屋に入るのにも合言葉閉じを確かめるような潜伏の窮状を知るにつけ、チマは弟を可哀想に思い「せめて鰻でも食べさせてあげて」と自分の金を渡す。
チマと瀧子を送った帰り、ふじ子は古道具屋で変装用の鬘を買って戻ってくる。そこに、特攻の古橋と山本がアジトに踏み込む。元女優の芝居っ気で「別の部屋でしょう?」と難を逃れた多喜ニとふじ子は、特攻が目を離した隙に麻布のアジトからも逃げてしまい、古橋と山本はまたしても地団駄を踏む。
その翌年、麻布のパーラー「山中屋」の二階の席で、多喜ニとチマらが変装して会うことになる。瀧子とふじ子はパーラーの店員になり、チャップリンに変装した多喜ニと、盲目の按摩に扮したチマが会うのだが、多喜ニへの手紙は検閲されており、特攻の二人も慶応の応援団に変装して隣のテーブルについている。よき所で多喜ニを捕えようという手はずなのだが、あまりにも扮装が似すぎているので、古橋は山本に着替えに行かせる。
チャップリンに扮した多喜ニは、姉からもらった金で「母親にみかんを買ってやりたい」と1階の売り場にみかんを買いに行く。
チャップリンの扮装で戻ってきた山本をチマは弟と間違え、入れ違いのドタバタ…そして戻ってきた多喜ニによって、二人のチャップリンが鉢合わせになり…古橋が多喜ニを捕えようとすると、山本が「いつか言っていた話を、あなたに読んでもらいたいと、ずっと持っていました」と、小説を今ここで読んでほしいと頼む。
「全身全霊をかけて書きましたか?(言葉は違ったけれど、そういう意味のセリフだった)」と、自分が書く時には、胸の映写機がカタカタ鳴る、そんなかけがえのない光景を文字にするのだ…と言う。
結局のところ小林多喜ニは捕えられ、拷問を受けた末に亡くなり、当局は死因は心臓発作と発表する。
遺骨を抱え、小樽に帰るチマのもとに、四谷署の巡査に格下げになった山本や、新宿に行った古橋が会いに来る。
追う者追われる者だった関係に、時間をかける間に生じていた共感性がしみじみと感じられるし、哀しい中にある喜劇性に、井上ひさしらしさを感じる芝居だ。
また、カタカタカタ…と歌う曲の中には、井上ひさし自身の"書く"というメッセージも感じられて、グッとくるのだが、何せ3時間強の芝居は長く感じる。
特に、音楽劇とうたっていて、プロローグの「代用パン」の歌から、随所に歌が挿入されているのだが、それが長く感じさせる原因にもなっている。
井上ひさしの芝居には、ピアノの曲や歌が入っているものも少なくないのだが、それが芝居の弛みを引き締めてくれることもあれば、助長に感じることもある。
今回は、セリフだけでも成立していた芝居に、更に歌が付け加えられていた感じがして、たぶん歌が無くても芝居として充分に感じ入ることができたのではないかと思った。
重い話ではあっても、井上ひさし流の笑わせ方で、特攻の二人が多喜ニの思想に寄っていく様子や、二人のチャップリンが鉢合わせする喜劇性でも充分に和めるのだから、特に歌を入れる必要があったのか?という疑問は残る。
歌という括りがあるために、井上芳雄を起用したのかもしれないが、ラストのスクリーンに映し出される顔は"小林多喜ニ"には見えず、そこで"井上芳雄"に落ち着いてしまった段階で、小林多喜ニの物語としてはトーンダウンしてしまった。
以前見た「人間合格」では、太宰治の写真のように撮った出演者の映像が、芝居を見ているうちに混同してしまうくらいの迫力を持っていたのに比べると、あそこで井上芳雄の写真を出すことはマイナスイメージだったような気もした。
芳雄ファンなら許せただろうが、蟹工船は知っていても小林多喜ニの印象がない私には、そこで一気に「小林多喜ニってどんな人?」と引いてしまったのだった。

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