ノーチェックだったので、NHK BS2での放送を何気なく見たのだったが…チャン・ジン監督の思惑にしてやられた!という衝撃で、流れた涙をどうすれば良いのか〜という地団駄を感じた映画だった。無期懲役の父と息子の再会の一日を淡々と描いたものだが、あのどんでん返しには、まんまとやられた。でも、涙が落ち着くと、矛盾点も感じずにはいられないのだが、改めてこういう感情の揺さぶられ方も映画らしい刺激なのだと思う。
殺人の罪で無期懲役に服しているイ・ガンシク(チャ・スンウォン)は、一日外出の審査を受ける。24歳の時に強盗殺人で服役して15年、39歳のカンシクは当時3歳だった息子に会ったとしても、18歳に成長した息子は記憶にある赤ん坊ではないので、初対面のようなものだ。
それよりも、死んで会いたい人がいる。刑務所に来る神父(イ・ハヌィ)に「死んだらどこに行きますか?会いたい人に会えますか?」と質問をしても、罪を負った自分は地獄落ちだろうから、天国に居る人とは会えないでしょう…?と思っている。神父は「悔い改めれば、地獄ではない場所に行けますよ」と慰めの言葉をかけるのだが、「そんな場所、聖書に書いてありましたっけ?3回も読んだのに」と、口先のおべんちゃらと思う。
審査の結果、一日だけ家に戻る許可が下り、カンシクはパク刑務官(イ・サンフン)から、今風の子供への接し方等を習い(「ハーイ!よろしく!」なんて、浮いたセリフ)、パク刑務官の付き添いのもとに家に帰る。
家…といっても、妻は離婚して出て行き、アパートに住んでいるのは認知症の母親(キム・ジヨン)と息子のジュンソク(リュ・ドックァン)だけで、母親はガンシクに会っても、顔も覚えていない。
息子が学校から帰って来るまでの時間ももったいないので、パク刑務官に「校門の前で待っていていいですか?」と聞き、顔が分からないかもしれない息子を待つことにする。
ジュンソクは学校でも数学や音楽など優等生で、初めて会うにも等しい父親との対面に緊張している。
余所余所しい対面のあと、家に帰っても、話がはずむわけではないし、母親の失禁(紙おむつをしている)の世話までする息子に、すまないという気さえしてくる。
パク刑務官が気をきかせて夕飯の買い物に行き、不味い食事を作ってくれるのにも、愛想笑いで場を濁し、未成年だけどジュンソクにお酒も飲ませてやる。
「飲んだことあるのか?」と聞くと、誕生日に友達と…と答え、カンシクは息子の誕生日も覚えていないことに気づく。「誕生日はいつだ?」と聞くと、「父さんの誕生日の二日後です」と答え、カンシクは息子の口から「アッパ(父さん)」と言われたことだけにも嬉しくなるのだが、ジュンソクにとっては「父の誕生日」と言いたかっただけで、「お父さん」と呼びかけたわけではない。
そんな風に、父子とはいっても他人行儀なやり取りしかしていないが、夜になって寝てしまうのも勿体無く、布団に入ってからも何を話すともなく、電気をつけたままにしている。
カンシクはジュンソクを表に誘い、パク刑務官は寝ているふりをして二人を送り出してやる。夜の川べりを父子二人で歩き、カンシクは息子が赤ん坊だった頃の思い出話をしたり(左利きだったのを叱って直させたことなど)、ジュンソクはガールフレンドに海外で仕事をしていることになっている父を紹介したり、サウナに行って背中を流したり、だんだんと二人の距離も縮まっていく。
夜も明けると、カンシクは刑務所に戻らなければならない。
列車の駅までジュンソクは見送りに来て、駅のホームではじめて父に手を繋ぐ。と、カンシクは泣き出し、子供のようにワンワンと慟哭する。パク刑務官も、離れたところから二人を見守っている。
別れる時になってようやく気持ちが通じたのか…とパク刑務官も観客も思うわけです!
しかし、そこにどんでん返しが!!!!!
カンシクは、目の前に居る息子に「ジュンソクはどこだ?何があったのか?」と尋ねる。
実は、半年ほど前の夏、ジュンソク(チン・ウォン)は死んでいたのだ。
心優しかったジュンソクのため、友人たちが交代で祖母の面倒を見ていたところに、裁判所(?)からの通知で、服役中の父親に1日の休暇が与えられたことを知る。
そこで、「ジュンソクならどうするだろう」と考えて、チャ・ホンド(リュ・ドックァン)が、ジュンソクになりすまして、俄ごしらえの息子を演じたのだった。
ホンドは「すみませんでした」と謝るが、カンシクは「いいんだ」と息子と過した1日を思い出にして帰る。
チャン・ジン監督は、1日という何でもないような時間を描きたかったと言っていた。赤ん坊の思い出しかない息子に15年ぶりに会うといっても、一緒に築き上げてきたものがない二人にとっては、初対面のようなもの。それでも親子なので無視するわけにもいかない…という二人の、気まずい感じから距離を縮めていく1日が淡々とだけれど、じわ〜っと感じてきたところに、息子だと思っていたのが他人だと分かる衝撃。
それも、赤ちゃんの小さい手が父親の指を握っている映像を冒頭に見ているから、別れ際に手を握ったときに、普通の感覚の持ち主なら、赤ちゃんの時に握られた感触と同化するのだろうな〜と感動して泣けてくる。
で、カンシクの慟哭と共に、涙が溢れて止まらない段になって、息子ではなかったことが分かるのだから、「うぅ〜、この涙、どうしてくれる!!!」というどんでん返しに遭う。
そういえば、赤ん坊の時には左利きで、カンシクが直させたのに、成長して右利きになっているジュンソクに「子供の時にあんなに叱ってすまなかったな」と言うのも伏線だったわけで、手を握られて初めて「息子ではない」と感じるのも、赤ちゃんの時に握られた記憶なのだと思うと、その細かさが本能なのかなと思う。改めて、赤ちゃんが握っていたのは左手だったっけ?と確認したくなるような衝撃だった。
チャ・ホンドもそれで終わりにせず、刑務所まで面会に行くようになり、血は繋がってはいないけれど、父子の関係を続けていくというラストで、それ以降の刑を待つだけの日々に温かさを与え、息子の本棚にあった本を獄内で読んでも、難しくて分からず、面会に来た息子に「あれ、面白かったか?」と聞くと、息子は読んでいない…という笑えるオチもついてはいる。
でも、感涙が「えぇ〜〜、うそぉ〜〜」になる衝撃は、予想だにしていなかっただけに、愕然とした。
涙が落ち着くと、今度は行政に対しての疑問が出てくる。
母親は出ていき、ジュンソクは祖母との二人暮らしだったわけだが、その生活費はどうだったのか?またジュンソクが死んたことは秘密ではないのだから、一人残された祖母の福祉事業もあったはずだ…と思うと、友人たちが分担して面倒を見ていたことに疑問も感じるし、イ・ガンシクが休暇の希望を出して審査した段階で、ジュンソクが亡くなっていることも判明できただろうに…と思うと、なぜそこで了承されたのかも不思議になる。だから、現実的に考えればこういう展開にはならなかったはずなのだ。
そこで二度「あの涙、どうしてくれる〜」と思ってしまうのだが、まぁ、そこも"映画"ということで落ち着かせるしかない。
リュ・ドックァンも「ヨコヅナ・マドンナ」の子と同一人物というのも「うっそ〜」と言いたくなるような衝撃でもあった。演技派とは聞いていたけれど、トンマッコルとも違い、次は「エクウス」のアラン?と聞けば、ラドクリフ君以上に芝居に興味を持ってしまう。

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