Elton JohnとTim Riceが書いたミュージカルAIDAは、BWでは2000年に開幕し、日本では四季が大阪や名古屋(場所不確か)で公演していたが、当時見に行った友人に「遠征してでも見るべき?」と聞いても、是非との反応はなかったので、東京公演が始まるまで待っていた。その間には、宝塚版のAIDA〜王家に捧ぐ歌〜や、その改訂版AIDAも見て、オペラのAIDAとは違う様々なスタイルを見てきたので、ストーリーがどう描かれているのかにも興味を持っていた。
配役も数名づつキャスティングされているので、誰で見られるのかも不確実なのだが、10/3開幕してすぐならベストメンバーを持ってくるだろうと読んで、席は良くはないが見ることにしたら、一番観たいと思っていたラダメス役に渡辺正の登板だったので、ラッキーだった。
物語のキャッチコピーに「すべては愛だ」と書かれているように"運命の愛"の物語になっている。それも千年愛…現代、古代エジプトの展示物が並ぶ博物館に見学しに来た男と女が、ある展示物(四角い石の箱)の前で顔を合わせると…展示されていた女王アムネリスの像が動き出して、ある"愛の物語"を歌い始める。すると、舞台は古代エジプトに移っていく。
エジプトは近隣諸国に兵を挙げ、領地を拡大していた。
将軍ラダメス(渡辺正)は、ヌビアの捕虜を連れて凱旋する。その捕虜の中に、ヌビアの城を抜け出して川(?)遊びをしていたところを捕えられたアイーダ(濱田めぐみ)も居る。幼い頃にヌビアから連れて来られた奴隷メレブ(中嶋徹)は、彼女が王女だと分かり、奴隷たちの希望にしようとするが、アイーダは奴隷となった身を曝したくないと、黙っていてと頼む。
本来なら労役に服すところを、勝ち気な発言がラダメスの目に留り、王女アムネリス(五東由衣)への献上品として侍女にされる。
アムネリスは贅沢とお洒落三昧の生活をしており、凱旋の晩餐会の席で、父ファラオ(前田貞一郎)から許婚のラダメスとの結婚も七日後と決められて喜ぶ。
ラダメスの父ゾーザー(飯野おさみ)は、息子を王女と結婚させ、先も長くないファラオのための墓(ピラミッド)を作り、権限は自分の手に入ると考えている。
しかしラダメスは、結婚して王座に就いてしまえば遠征に出ることもなくなり、未知の魅力に出会う喜びが無くなることを嘆く。それをアイーダは「運命を変えればいい」と強く言い、ラダメスは勇敢さに惹かれていく。
メレブにはアイーダがエジプトに居ることを黙っているように言ったのに、いつの間にかヌビア人奴隷たちの間には知れ渡り、アイーダを自分たちの希望の星と仰ぎローブを作る。一度はそんな権威の象徴にされることを固辞したアイーダだったが、王女としての責任感から、ヌビアを守り、いつの日かヌビアに帰る為のリーダーになる。
アイーダに恋をしたラダメスは、自分たちの財を人々に分け与え、そんな民衆に優しいラダメスを見ていてアイーダも恋を確信し、婚礼の日に二人で駆け落ちをする約束をする。
ラダメスは、アムネリスに余所余所しくなり、父にも「結婚はしない」と言う。
しかし、アイーダの父であるヌビアの王アモナスロ(川原洋一郎)も捕えられており、牢獄に忍びこんだアイーダは、アムネリスとラダメスの婚礼に紛れて脱出させる計画を話す。ラダメスから預った通行証で、ラダメスが駆け落ちの為に用意しておく船までたどりつけるからだ。
また、ゾーザーは息子とアイーダの関係を知りつつも、婚礼のファラオの杯に毒を盛り、権力を手にする企みがあるので、息子とアムネリスとの婚礼を決行させなければならない。そこで、部下にアイーダを殺すよう命じる。部下は捕われているヌビア人に「アイーダはどこだ」と尋ね、身替わりの女性が殺される。
結婚はしないと言うラダメスに、それが"運命"と説き伏せ(その様子をアムネリスは見てしまう)、婚礼の日はやってくる。
婚礼の途中、アモナスロ以下ヌビア人たちの脱獄が知らされ、エジプト軍はあとを追う。
ラダメスが用意した船でアモナスロは出航脱出できるが、アイーダは捕えられ、ラダメスも祖国を裏切ったとして捕えられる。
死期が近いファラオに代って、エジプトの女王になると宣言したアムネリスは、アイーダとラダメスを地下牢に閉じ込める。
二人が逝った地下牢こそが、今、男女が前にしている石室なのだった。
エルトン・ジョンはイギリス人だが、このミュージカルはディズニーの制作のせいか、とてもアメリカ的に音楽だと思った。
そして、国同志の戦いという側面もあるにも関わらず、ラダメスとアイーダの千年愛とアムネリスとの三角関係に的をしぼった作風になっていると感じた。
先日見た「AIDA〜王家に捧ぐ歌〜」では、舞台冒頭で既にアイーダとラダメスは互いに好きだと思っているところから始まっていたので、こちらでは、奴隷と将軍という立場からどう恋に発展していくのか、互いの何に魅かれるのかが表現されていたと思う。
でもその分、社会的なストーリーはあっさりしていて、報復ではいつまでたっても平和は訪れない…というメッセージ性も薄い。
ファラオも出番が少なくて、権威の見せ場がないし、何よりも、王女であるアムネリスに"My Strongest Suit"を「お洒落は私の切り札」と歌わせてしまう段階で、政治や社会に関心のないお嬢様にしてしまい、ラストに女王になり裁定を下す部分に真実味が持てない。(というか、ラストに髪をアップにしていた五東由衣が、遠目には北陽の虻ちゃんに似てるなぁ…と思えたせいもある)
曲はエンターティメント性があり、シルエットを使った背景もアニメーション的で、いかにもディズニーらしいとは思うが、しょっぱなの現代の博物館での二人の再会シーンで既に甘々なメロドラマという感じだったので、エピローグでまた博物館に戻った時の千年をかけた恋人との再会が気恥ずかしく思えてしまった。
気恥ずかしく見えてしまうのには、四季の発声法がお行儀良すぎるからかもしれないが、技術が先立つために感情がおいてけぼりになってしまう。歌でメロディーに乗っている時と台詞のスピード差も激しく、感情を乗せて台詞を聞けたのは濱田めぐみさんただ一人だった。彼女の歌い方には癖もあるので、それをプラスマイナスしたらどうか?…というのもあるが、芝居を感じさせてくれたのは彼女だけだった。
ラダメスの渡辺正さんは、以前のロック歌手を知っている者から見たら、かなり解毒されていて、あぁ本当ならこの歌はもっとシャウトしてロック調に歌うと格好良いのだろうな…と思える部分もあり、無理をして咽をつぶさないようにセーブしているようにも見えた。それでも辛そうな発声で、もしかしたらこのままでも咽をつぶすのではないか?と心配もしたほどだ。
それでも、彼らしい歌い方もあって、驚いたのは「星のさだめ」のフレーズが「美しい島国で」と似ている部分があったことだった。(CDでの阿久津くんでは似ているとは気づかなかったのだから、そこは渡辺さんらしい歌い方なのだと思う)
一つ気になったのは、振り付けはBWを踏襲しているのだろうか?ということ。
ゾーザーの手下たちの振り付けが、カンフーアクションだったのだが、エジプトの話なのに…と思うと、BWで外人が見るのにはアジアと意識されないことでも、アジアで見ているから変だと思うのか、それとも元はもっと洋な振り付けだったものが、日本人だから空手ぽくさせたのか?、ヌビアの女性たちが洗濯の籠を頭に乗せながら踊る振り付けも、アフリカであるのにとても東南アジア的なシルエットに見えたことも付け加えて、時々エジプトから次元がスーッと変わって見えてしまったところがある。
初めてDisneyの「AIDA」を見た感想が、気恥ずかしいメロドラマ…だったというのは、どうなのだろう?オペラのAIDAから考えれば、違うのかもしれない…でも「すべては愛だ」というキャッチフレーズには合ってる?

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