TOMMY 舞台、ライブ
新聞評でもバックの電飾の過剰さを書いていたし、先に観た友人たちからは日本語の歌詞が聞き取りにくいと聞いていた。
もともとが60年代のイギリスのロックバンドThe WHOがストーリー性を持たせたアルバムで、その音楽をボーカルのロジャー・ダルトリーを主役Tommyとして映画化したのが1975年のこと。
その後、ロック・ミュージカルがいろいろ出てくる中で、舞台化もされたし、去年は非組合のカンパニーが来日もしたが、日本版としてのオリジナルは今回が初めてだ。(私は昔、ダンス・パフォーマンスの小さい公演を見ているが)
今回のJapanese Editionの演出は、劇団新感線の演出家いのうえひでのりが当っている。最近のロック・ミュージカルにありがちな大画面の電飾と生バンドの大音量は予想通りだったが、これはロック・ミュージカルというよりも、The WHOのアルバムを日本語訳して視覚化しただけのもののように感じられた。
上演時間をみるとミュージカルにしては短いと思っていたのだが、95分という短さはちょうどLPレコードを両面聞いた時間に等しく、物語を台詞で聞かせるのではなく、少々の辻褄合わせには関係なく次々と曲が流れていくだけなので、"LPレコードの視覚化"と感じた次第だ。
冗長なセットチェンジもなく、台詞は極端にカットしているものの、バックのCG画面によって、ストーリーの殆どは何のセットがなくても言葉が聞き取りにくくても分かってしまう(でも、それってActorはいなくてもOKってこと?)。
第二次大戦中のイギリスで、ウォーカー大尉(パク・トンハ)と結婚したミセス・ウォーカー(高岡早紀)は、夫の行方不明の報を受け、一人で息子トミー(中川晃教、子役:宮治舞)を産み育てる。数年後、ウォーカー夫人が恋人と寝ているところに行方不明だった父が帰ってきて、男を殺してしまう。その殺人の現場を見てしまった子どものトミーは、母親から「あなたは何も見ていない、何も聞いていないの!」と言われ、見ることも聞くことも話すことも失ってしまう。外との繋がりを閉じてしまったトミーは、変態のアーニー伯父さん(右近健一)や従兄弟のケヴィン(ROLLY)から虐待され、無罪となった両親が医者や宗教に治療を求めても、治らない。
しかし、ピンボールの才能に目覚め、三重苦のピンボール・チャンピオンとして一躍有名になる。目や耳を塞ぐグッズが売れたり、アイドルのような担ぎ上げられようだが、鏡を割るという衝撃によって奇跡的に回復をし、「I'm Free」と歌うトミーの元からは去る人も出てくる。
トミーはTommy's Campというコミュニティを作り、一種の教祖さまのようになる。そこに、両親の反対を押しきってサリー(高塚恵理子)という女の子がキャンプにやってくる…。
ハネムーンに行く車が反転するとベッドになり、寝ている所を起こされて出兵し、落下傘隊につくが撃墜される…とか、事件でパトカーが来たり、三重苦になったトミーが様々な医者に行く様子などは、まるでアニメ映画のようにバックのスクリーンで表現される。舞台にクレーンでウォーカー大尉の戦闘機の様子を演じているのにも関わらず、後ろにも彼の姿は映されているので、ともすると生で演じている人を見なくても済んでしまうほどだし、映像があるために、ダンサーたちが踊っているのを見る必要性も感じなくなってしまう。これなら、映画にしたほうが良かったんじゃない?と思うような作品だった。
ケン・ラッセルの映画はもっとグロテスクで、サイケデリックだったのに、映像があまりにもマンガ的なので、アンダーグラウンドな感じや爆発するようなパワーが感じられず、The Acid Queenのシーン等に見られる猥雑さは、ソムン・タクの歌声には圧倒されながらも、隣で踊っている山崎ちかに軍配は上がった。いつもの劇団新感線のほうがどれほど猥雑かと思う。
でも、それよりもまず、トミーの心の闇や、祭り上げられるスターの栄枯衰退が置き去りにされている気がした。
殺人現場…それも両親の起こした現場を見てしまい、母親の言葉とショックによって心を閉ざしてしまうはずのトミーが、内では音楽に満たされているというような心象風景(ブルーの中に音符が飛び交っている映像)の中でニコニコしているのは合点がいかない。だから、トミーの「See Me, Feel Me, Touch Me, Heal Me.」という叫びがぜんぜん響いてこないのだ。
一幕ラストのPinball Wizardのシーンでは、客席も一体化して劇場全体がピンボールになる…というふれ込みもあったのだが、日生劇場の天井にレーザー光線でピンボールマシンの絵が映され、銀色のボールが客席に向かって飛んではくる…が、その数はいかにもショボく、撥ね返すほどはない。むしろ色とりどりの風船をばら撒いたほうが、面白かったのではないかと思われる。
二幕になると、それまで閉ざされて内に篭っていたパワーが弾けるはずなのだが、映像にも飽き、従兄弟のケヴィンのはずが素のままのギター弾きになっているROLLYにミュージカルとしての違和感を感じているうちに、サリーが登場し「あぁ、そうだった」と思い出しても彼女との物語は重要視されていず、結局ラストはよくわからないままに終わってしまった。
驚いたことに、劇中に客席から拍手が起きることもなく、ロックなのに動かず沈み込んでいた客席が、カーテンコールになったら突如スタンディングになった。
「えっ!みんな乗ってたの?」と訊ねたくなったが、別にステージが見えなくたっていいや…と座っていた。
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もともとが60年代のイギリスのロックバンドThe WHOがストーリー性を持たせたアルバムで、その音楽をボーカルのロジャー・ダルトリーを主役Tommyとして映画化したのが1975年のこと。
その後、ロック・ミュージカルがいろいろ出てくる中で、舞台化もされたし、去年は非組合のカンパニーが来日もしたが、日本版としてのオリジナルは今回が初めてだ。(私は昔、ダンス・パフォーマンスの小さい公演を見ているが)
今回のJapanese Editionの演出は、劇団新感線の演出家いのうえひでのりが当っている。最近のロック・ミュージカルにありがちな大画面の電飾と生バンドの大音量は予想通りだったが、これはロック・ミュージカルというよりも、The WHOのアルバムを日本語訳して視覚化しただけのもののように感じられた。
上演時間をみるとミュージカルにしては短いと思っていたのだが、95分という短さはちょうどLPレコードを両面聞いた時間に等しく、物語を台詞で聞かせるのではなく、少々の辻褄合わせには関係なく次々と曲が流れていくだけなので、"LPレコードの視覚化"と感じた次第だ。
冗長なセットチェンジもなく、台詞は極端にカットしているものの、バックのCG画面によって、ストーリーの殆どは何のセットがなくても言葉が聞き取りにくくても分かってしまう(でも、それってActorはいなくてもOKってこと?)。
第二次大戦中のイギリスで、ウォーカー大尉(パク・トンハ)と結婚したミセス・ウォーカー(高岡早紀)は、夫の行方不明の報を受け、一人で息子トミー(中川晃教、子役:宮治舞)を産み育てる。数年後、ウォーカー夫人が恋人と寝ているところに行方不明だった父が帰ってきて、男を殺してしまう。その殺人の現場を見てしまった子どものトミーは、母親から「あなたは何も見ていない、何も聞いていないの!」と言われ、見ることも聞くことも話すことも失ってしまう。外との繋がりを閉じてしまったトミーは、変態のアーニー伯父さん(右近健一)や従兄弟のケヴィン(ROLLY)から虐待され、無罪となった両親が医者や宗教に治療を求めても、治らない。
しかし、ピンボールの才能に目覚め、三重苦のピンボール・チャンピオンとして一躍有名になる。目や耳を塞ぐグッズが売れたり、アイドルのような担ぎ上げられようだが、鏡を割るという衝撃によって奇跡的に回復をし、「I'm Free」と歌うトミーの元からは去る人も出てくる。
トミーはTommy's Campというコミュニティを作り、一種の教祖さまのようになる。そこに、両親の反対を押しきってサリー(高塚恵理子)という女の子がキャンプにやってくる…。
ハネムーンに行く車が反転するとベッドになり、寝ている所を起こされて出兵し、落下傘隊につくが撃墜される…とか、事件でパトカーが来たり、三重苦になったトミーが様々な医者に行く様子などは、まるでアニメ映画のようにバックのスクリーンで表現される。舞台にクレーンでウォーカー大尉の戦闘機の様子を演じているのにも関わらず、後ろにも彼の姿は映されているので、ともすると生で演じている人を見なくても済んでしまうほどだし、映像があるために、ダンサーたちが踊っているのを見る必要性も感じなくなってしまう。これなら、映画にしたほうが良かったんじゃない?と思うような作品だった。
ケン・ラッセルの映画はもっとグロテスクで、サイケデリックだったのに、映像があまりにもマンガ的なので、アンダーグラウンドな感じや爆発するようなパワーが感じられず、The Acid Queenのシーン等に見られる猥雑さは、ソムン・タクの歌声には圧倒されながらも、隣で踊っている山崎ちかに軍配は上がった。いつもの劇団新感線のほうがどれほど猥雑かと思う。
でも、それよりもまず、トミーの心の闇や、祭り上げられるスターの栄枯衰退が置き去りにされている気がした。
殺人現場…それも両親の起こした現場を見てしまい、母親の言葉とショックによって心を閉ざしてしまうはずのトミーが、内では音楽に満たされているというような心象風景(ブルーの中に音符が飛び交っている映像)の中でニコニコしているのは合点がいかない。だから、トミーの「See Me, Feel Me, Touch Me, Heal Me.」という叫びがぜんぜん響いてこないのだ。
一幕ラストのPinball Wizardのシーンでは、客席も一体化して劇場全体がピンボールになる…というふれ込みもあったのだが、日生劇場の天井にレーザー光線でピンボールマシンの絵が映され、銀色のボールが客席に向かって飛んではくる…が、その数はいかにもショボく、撥ね返すほどはない。むしろ色とりどりの風船をばら撒いたほうが、面白かったのではないかと思われる。
二幕になると、それまで閉ざされて内に篭っていたパワーが弾けるはずなのだが、映像にも飽き、従兄弟のケヴィンのはずが素のままのギター弾きになっているROLLYにミュージカルとしての違和感を感じているうちに、サリーが登場し「あぁ、そうだった」と思い出しても彼女との物語は重要視されていず、結局ラストはよくわからないままに終わってしまった。
驚いたことに、劇中に客席から拍手が起きることもなく、ロックなのに動かず沈み込んでいた客席が、カーテンコールになったら突如スタンディングになった。
「えっ!みんな乗ってたの?」と訊ねたくなったが、別にステージが見えなくたっていいや…と座っていた。
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