
(昨日の・・いえ、おとといの写真です・・・。)
今日は朝から結構な雨で、お散歩はパパプリンが朝も晩も行きました。
ママプリンは子供の頃からそういうところがあるんです。
小学校1年生で初めての夏休みの宿題が、
あと数日で夏休みも終わろうとする頃、全然終わってなくって、
泣きべそかいていたら、明治生まれの優しいおじいちゃんが、
国語の宿題(多分かきとり)をやってくれました。
ママプリンの母親は「式は書いてあげるから答えは自分で書きなさい。」
と言って、算数の計算問題の教科書の問題をノートに写してくれました。
泣きじゃくりながら、計算した答えを書き込んで、
母親の書く字がどうも自分の字と似てないと文句を言っていました。
そして、おじいちゃんの書いてくれているかきとりの文字が
震えていて、「そんなんじゃいやだ!」と文句を言って、
また泣いていました。
でも、なんだか幸せだった。
困って泣いていたら、みんなが助けてくれて・・・。
あれ以来、自分の事は自分でしなくっちゃいけないんだってわかったし、
私は、嫌なことは後回しにする性格だって、自分が見えた。
私は自分の家族が大好きだった。
大好きだったおじいちゃんが家族みんなの手を握りながら天国に召されたのは
中学2年生の時だった。
そのとき、おじいちゃんは本当に安らかで幸せそうだった。
最近、実家の父が母(自分の奥さん)の事が誰かわからなくなってきた。
脳梗塞をやった後遺症もあるのかもしれない。
母は足腰が弱く、買い物に行くのも困難で
今は近くに住む兄の奥さんが助けてくれている。
母が以前大腿骨骨折をしたときに、手術をして
しばらく寝たきりになって、完全看護なのに
看護婦さんの介護では排便ができないと言う。
母が起き上がって自分でトイレに行けるようになるまで、
仕事を休んで、5歳と3歳の娘を連れて、毎日東京の府中から
千葉の市川の病院まで通った。
正直、大変だった。小さな子どもとの移動は本当に大変で、
ある日、御茶ノ水で総武線に乗り換えるときに、
電車に乗り込むときに、ホームと電車の間の隙間(15cmくらいかな、)
に長女が落ちた。
かろうじてわきの下でひっかかってたので、持っていた荷物を放り投げて引き上げた。
長女を引き上げてすぐ、驚いたことに、
次女が落ちた。
今度はお腹で引っ掛かってた。
次女を引き上げたら、降りた人が私のバッグを電車に放り込んでくれて、
黄色い電車は私達を乗せて、普通にドアが閉まって走り出した。
母が病院で痛みと闘いながら私を待ってると思って、私はいつも急いでいた。
でも、何度思い出しても、ぞっとする。
とにかく、今また母は私を必要としているんだ。
私の母は強くて優しい。
父の変わっていく姿に始めの頃は、泣けて眠れなかった。と言っていたが、
今は受け入れている。
私にどれだけの事が出来るだろう。そう思うと必ず夫が私に言うセリフ。
「お前ならできる!」
そうかな、できるかな。
やるっきゃないでしょ。
ま、私にはあてになるんだかならないんだかよくわからないけど、
雨の日のお散歩には行ってくれるだんな様もいることだしね。
「お前ならできる!」
っていう魔法の言葉、私には凄く効いちゃうんだけど、
「リカプリン、お前ならできる!」本当にそう思うよ。

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