10月14日(土)に行われた「
えちご・くびき野100kmマラソン」に参加しました。
マラソン初挑戦なのにいきなり50kmという距離で、まわりの皆様には無理だろうと言われていました。
そんな無謀とも思える挑戦までの事をまとめたいと思います。
始まりは昨年だったかな?
一緒の商工会のお仲間で同じスポーツジムに行くkenさんに
「50km走ったんですよね?どうでしたぁ」
と聞いたのがきっかけです。
kenさんは前回出場し見事完走しました。
彼は店長よりも10以上も年上の方。あの人が走れるのなら出来るかな…それに何だか楽しそうだし。。大きな勘違いの始まりです。
今年の4月
そのマラソンへの慣らしということで米山山麓ロードレースのハーフマラソンに出場する予定でした。しかし、丁度お花見時期と重なりエントリーはしたものの参加できず。マラソンとはどういうものかを知らず今回の出場となったわけです。
6月頃から外で実際に走って見るようになりました。
スポーツジムでランニングマシンで走っているので結構自信はありました。しかし、アスファルトの上を走るのはやはり違いました。
足への衝撃がダイレクトに伝わってきて、次の日の朝起きると足が痛い。
そんなことで練習も気が向いたときにという状態でした。
夜に走っていたので虫が口に入ってきて嫌な思いもしましたっけ。
8月下旬
三和区内での100kmマラソンへエントリーした方々が集まっての結団式がありました。皆さん走りそうな方ばかり。。。皆さん練習はしているそうで。俺は大丈夫なのだろうか?心配と不安が大きくなってきます。
練習方法などを聞き、次の日から朝走ることを決意しました。
9月初旬
朝といっても残暑が厳しい毎日。
走っていても汗がダラダラ。とても辛いです。3kmもやっとです。
そんな感じなので気ばかりが焦ってきます。
でも、2日に1回のペースで走り続けると徐々に体が慣れてきます。
9月下旬
かなり走れるようになったと実感してきます。
距離も10km程にチャレンジしても辛いけど走りきれます。
あとは走り慣れすればOKだろうと…
それが自信にも繋がってきました。「大丈夫、完走を目指せそうだ」
10月初旬
無理な練習は避け、ジョギング程度の速度で練習を続けました。
朝のランニングは少し肌寒さを感じる季節になってきました。
前日13日
午後エントリーをするためにリージョンプラザ上越へ
全国からの参加者がいることに驚きました。会場もお祭りムードが漂っています。
そんな中、エントリー後、無料のテーピングをしてもらいました。
面識のある接骨医院の先生がいらっしゃってその方にひざを中心に足全体に施して頂きました。腰も心配だったので夕方その接骨院に直接行きました。
接骨院では明日のマラソンに出場する選手が多く来ていた様で混雑気味。そこでkenさんにも出会い、明日頑張りましょうということになりました。
店長は腰のテーピングのほか、シューズの中に入れるかかとを保護するカップも購入。明日への万全の体制がほぼ整いました。
当日は晴れて暑くなるという予報。雨も嫌ですが、お日様が照っているもの厳しいです。水分補給を忘れずにというアドバイスも頂きました。
うみてらす名立に到着し、ウォーミングアップとストレッチを入念に。

当店のお得意様のSさんに撮って頂いた写真。ご主人も出場されるようで奥様がいらっしゃってました。
スタート地点での緊張の瞬間です。
朝8時半にカウントダウンと共にスタート。
太鼓が鳴り響き気持ちよく始まりました。海風がとても気持ちよいです。
しばらくするとトンネルが

昔の鉄道の跡を自転車道にしたようで国道8号線に沿っています。
この頃の走りはとても快調♪不思議と練習よりも走れます。
しばらく行くと今度は海の砂浜沿いの道へ
休日ということもあってサーファーが気持ちよく波乗り。
15kmを過ぎるとアザラシのジョー君で有名な上越市立水族博物館のそばを通ります。ウチの父がなぜかいました。応援に来てくれたようです。でも、仕事はどうしたのでしょう???
このころから少しずつ足に痛みを感じるようになってきました。
エイドや給水所では水分補給とレモンをかじり塩をなめました。これはテーピングしてくれた先生のアドバイスです。
また、ストレッチも立ち止まってしました。足に出た疲れや痛みを少しでも緩和するように。
20km地点
だんだん足が辛くなってきます。そろそろ歩き出す選手が目立ち始めます。
自分はまだ走れます。でも痛みが徐々に大きくなってきます。。
23km位だったでしょうか
ついに歩いてしまいました。走ることをすぐに再開しますが、足首の辺りが痛い。。また歩いてしまいます。
この頃はそれの繰り返しでした。
25km手前
北諏訪小学校にエイドがありました。
そこで地元三和の総合事務所の方に出会いました。
「お〜意外と早いじゃない」
何だか嬉しかったな
ここでも水分・レモン・塩補給を忘れずに。
足の痛みがひどくなってきた。まだ半分。。大丈夫だろうか?
ここからも走ったり歩いたりの連続でした。
あの電柱まで走ったら休もう。。目標を決めて先を進みます。
しばらくすると地元三和区へ入りました。
土地勘・距離感もあるし何だか安心。でも知っている人ばかりで無様な姿は見せれない。嬉しいような辛いような…
午後1時が関門の29.5km地点・美守小学校へは1時間の余裕を残して到着しました。ここに居る人はほとんどが知っている人。とても歓迎してもらいました。
でも長居はしてられません。先を進まなくては
ここから少し風が出てきました。
風があると日差しが緩和されます。しかし口が渇きます。
交通整理をしている人
給水所で選手のナンバーを読み上げている人
皆さん「かじや」がやってきたと歓迎してくれます。
しばらくすると34km地点の丸山酒造場のエイドへ
ここは雪中梅で有名な蔵元。当店もすごくお世話になっています。
エイドではナンバーを見て一人一人の名前が呼ばれています。
しかし、私の場合はチョッと違う。。。
「かじやの若旦那がやってきました〜」
めちゃくちゃ固有名詞です(笑)
蔵元の人には話していなかったのでビックリされました。
甘酒が冷たくてとても美味しかった〜元気が出ました。
ここからもしばらく知っている人だらけ
でも、足へのダメージは着実に大きくなってきています。歩く時間のほうが長くなってきます。
もうすぐ坂道を登らなければなりません。
その坂道の手前の給水所では水分補給を少し多めに、登りに備えます。
目の前にはこれから目指す山が見えます。
あんな場所まで登るのか…ため息が出てきます。
登りに入ると息も切れ、足が想像以上に痛みます。
山道なので熊でも出てきたら逃げ切れないなと思いながら進みました。
長いです、いつまで続くのでしょうか。もちろん走れません。
距離にしたら1kmもないのでしょうが、登り続ける辛さに負けてしまいそうでした。
40kmの看板が見えるとほぼ登りも終わり
そこには三和区総合事務所の方々に

写真を撮っていただきました。
歩いていると映りが悪いから走っている真似をしろと指示が…無理やりそんなポーズをとってみました(笑)
意外と笑顔なので「余裕なの?」と言われ
「限界に近いです。」と反論。でも自分でも精神的にはまだまだ余裕だったかも。
登りきった先はぶどう園。
エイドでのぶどうに期待しましたが、無かった。。残念
ここからはもう一つの試練・下りです。
下り始めた頃、救急車が来ました。
どうやら先ほどのエイドでダウンしてしまった方がいたようです。
下りも楽ではありません。
上りより余計に足への負担が。踏ん張りが利かないので走れるわけがありません。
下りの途中で42.195km看板を発見。ついにここまで来ました。
でも、あと約8kmもあるのか…少し遠く感じました。
坂を下りきるとなぜか母親登場!
どうやら配達の帰りらしいです。
しばらくすると父親も再登場!!
店はどうしたの??そのころシャッターが閉まっていたようです。
まっ、そうは言いつつも嬉しかったです。
ここからはもう意地です。
「完走してデカイ顔してやるんだ!」と
あと5km
あと4km
あと3km
と走るのはほぼ無理で出来るだけ早い速度で歩きます。
ここまできてリタイヤは嫌だ、完走するんだ!
最後の給水所で十分補給しゴールを目指します。
48kmの看板を過ぎた頃から太鼓の音が聞こえてきます。ゴールはもうそこ
残り1kmを過ぎて計算をすると7時間を切れそうなところまで来てました。
最後の力を振り絞り走り始めます。
痛いのだけれど前が見えてきたからそれを忘れ最後のスパート!
太鼓の音がどんどん大きく聞こえます。
最後の直線
自分の名前が呼ばれ、レッドカーペットの上を走ります。

皆さんに拍手で迎えられ無我夢中でゴールテープを切りました。
ゴール直後
いきなり地元CATVのさんわ8チャンネルのインタビューがあり息を切らしながらコメントしました。
ゴールの希望館では頚城中学の生徒がボランティアで活躍してました。
その子達に迎えられ完走のメダルをかけてもらいました。
あーゴールしたんだぁ
徐々にそんな充実感が疲れた体をめぐります。
結果は

7時間も切れたし、完走できたし満足です。
2年後また参加したい?
いやもう結構です。予想以上に過酷でした。というか認識不足、練習不足でした。
しばらくは次の出場のことは考えられません。
今回は走って良かったと思ってます。無理だと思っていた距離が完走できました。この頑張りが何かに活きてきそうです。自信にもつながりました。
自分という人間を見つめなおす良い機会でもありました。
足が歩けないほど痛くなったけど、それ以上に良い体験が出来たと思ってます。
みんなそれを求めて走り続けるのだろうか?
走ったそれぞれの人にドラマがあったことは確かです。
疲れたけれど良い経験ができました。