「パリ市長がフランスによるアルジェリアの植民地支配を謝罪」
アフリカ
25日、アルジェリアを訪問したパリ市長ドゥラノエ氏が、フランスによる過去の植民地支配を批判する発言を行った。両国の新聞がそろって取上げたのを下にそのまま紹介した。
注目したいのは、内容がほぼ同じという点。プレスリリースが出され、それをなぞって書くだけなのか、それとも各記者が独自に会見内容を録音したものに基づいて書くのか、記事執筆の舞台裏はわからない。だが、それにしても、デリケートな歴史問題を扱う両国の新聞記事がここまで一致しているのは興味深い。
翻って、今回の小泉発言を中国や韓国のメディアはどう伝えたのだろう。このアルジェリアの新聞のように、きちんと発言内容を伝えたのだろうか。
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25日付けルモンド紙(フランス)
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『アルジェでのベルトラン・ドゥラノエ。植民地支配は"極めて遺憾な”行為。』
25日月曜日、ベルトラン・デゥラノエパリ市長はアルジェ空港に到着後まもなく、「植民地支配は、歴史上の極めて遺憾な行為です。人々が平等でない限り文明社会は存在しません。」と語った。
「これは、私が一市民として抱いた気持ちです。」アルジェのモハメド・ケビル・アドゥ知事、フランスのユベール・コラン・ド・ヴェルディエール大使ほか、アルジェの多数の名士を前にパリ市長はさらに語った。「真実に対峙しなければなりません。私は、植民地支配がポジティブな行為であるとは思いません。」「文明社会が、その名に偽りなしと言えるのは、人々が平等である場合に限るのです。」
「私たちには共通の歴史があります。この歴史は、友情を育んだ一方で、苦痛と傷をも生み出しました。」と市長。「誤りを犯した場合、皆がそれを正面から見つめなければなりません。」ドゥラノエ市長は、フランス大使が2月27日、アルジェリア東部のセティフで、1945年5月8日の虐殺に関して、「許されざる悲劇」との言葉とともに言及した際の発言をなぞった。
「この道を進んでいかねばなりません」。1961年10月17日、セーヌ川に投げ込まれたアルジェリア人らを追悼するプレートをパリ市に設置したことに触れつつ、市長は語った。「私は、このプレートが傷んだときにはいつも、取り替えてきました。」さらに、1957年、アルジェリア独立戦争のさなか、フランス軍兵士による拷問で死亡したモーリス・オダンの名を広場に冠したことにも触れた。
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市長はさらに、「植民地支配という行為は不当なものであります。正当なものとは、人々が自由であるということです。」と語った。また「ある国民が、他の国民に対して平等な立場に立つためには、独立によるしかありません。」とした。さらに、「ドイツの名においてヴィリー・ブラントがひざまずき、許しを請うたとき、ブラントはドイツの威光をさらに高めたのです。過ちを認めることが自らを貶めることにはなりません。」との考えを示した。
ジャック・シラク大統領が「強硬な言動」を示す可能性について記者から尋ねられると、市長は、そのような疑問について「もっともです。」と、その判断をしめした。「だが、それは、シラク氏の責任です。私は共和国大統領に向かって説教をするつもりはありません。」とも付け加えた。
「フランスの存在がはたしたポジティブな役割」
パリ市長のアルジェでの声明は、2月にフランスで沸き起こった論争の発端となったものと無縁ではないのは言うまでもない。2月23日、フランス議会は、学校のカリキュラムに「海外においてフランスの存在が果たしたポジティブな役割の確認」を盛り込むように求める条文を含んだ法律を通したのだった。
この法律の採択後すぐに、激しい抗議の声が、とりわけ「罪に関する、そしてジェノサイドにまで及んだことも少なくない虐殺に関する官製の虚構」だと指摘する歴史家、教育者側から上がった。
3月に出され、約1000名の署名を集めた請願書に自らも署名を行った歴史家のクロード・レオズ、ジェラール・ノワリエル、ジルベール・メリエルの各氏は、「政教分離の核というべき学校の中立性、および思想の自由の尊重に逆らって公式の歴史を押し付ける」法律の廃止を要求した。
「植民地支配が酷いものだったと言うように要求された」としても怒りは変わらないとしつつジルベール・メニエル氏は、例えばアルジェリアでは、アルジェリア戦争について教科書の見解をここまで一方的ではないものにするための努力がなされてきたのに対して、この法律は「極端な面を誇張している」点について危惧を表している。
2月23日の法律に対する抗議の声があがったのはまた、イスラム系住民やアフリカ系黒人、海外県などの様々なグループが、植民地支配および奴隷制が、いま移民者の経験している差別に重い影を投げかけている点を認めるようにとの要求を行うさなかのことでもあった。
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26日付レクスプレッション紙(アルジェリア)
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『フランスが自らの罪を認めた。』
「パリ市長が「誤りを犯した場合、皆がそれを正面から見つめなければなりません。」とした。」
パリ市長のアルジェ訪問は、「歴史的、象徴的な意味合い」を帯びるものとなった。ふたつの首都の間で10年来続いている冷え切った関係にピリオドを打つものとなるはずの友好条約の両国トップ[ママ]による調印を翌日に控えてなお、過去の問題が依然として二国間関係に重くのしかかっている。祖国解放戦争中に行われた大規模な拷問について重い口が開かれるようになった今、フランス当局はますます反省の念を示す必要に迫られている。
だが、人道に対する罪についての司法捜査を直ちに行うよう呼びかけた、拷問実行者による公けの発言も、取上げられることはなかった。 1945年5月8日の殺戮の命令者である禍々しきパポンが、ユダヤ人強制移住で有罪判決を受けたときですらだ。しかしながら、フランス当局者も、過去の緊張を払拭した健全かつ永続的な関係の構築にあたってこのような罪がもたらす影響の大きさを理解し、ほんのわずかではあるとはいえ、犯した罪を認め始めるようになった。
フランス当局者は、左派であろうと右派であろうと、フランスが自らの罪を認めなければならないという点では一致している。アルジェリア駐在フランス大使のセティフ訪問は、反省と許しへと向けた大きな一歩となった。1945年5月8日の事件に関する運動の推進者ですら、尊敬と感嘆の声をあげたほどだ。フランス当局者がこの出来事を「許されべからざる悲劇」と形容することは、これまでなかったのである。パリ市長もまた、アルジェの県庁舎で行われた昨日の記者会見に際して、この単語をなぞってみせた。
「セティフでのあなたの発言は、フランスの誇りです」。ドゥラノエ市長は、会見場に姿を見せたフランス大使に向かってこう語った。 市長は、政治的な勇気、そして何よりも大胆さでもって1961年10月17日事件の犠牲者を追悼するプレートを設置したほか、1957年、フランス軍兵士の拷問で死亡したモーリス・オダンを偲んでその名を広場の名に冠したのにとどまらず、市長選出以来2度目となる今回の訪問に、歴史的な意味合いを持たせることを望んでいるようだ。
しかしながら、この社会党の市長は、自国の政府との政治的論争の種をまくことは望んでおらず、自らの立場を明確にすることにこだわった。「私は政党から派遣されてきたのではないし、フランスを代表して発言する権限もありません」。アルジェのアドゥ・ベルケビル知事に迎えられた市長は、アルジェ県庁舎での昨日の記者会見の席上、いきなりこのように強調すると、記者たちを前に用心深い控えめな姿勢を示した。
「私は共和国大統領に向かって説教をするつもりはありません。私は自分の信じるところを申し上げているだけです」。アルジェリア戦争当時のフランスによる悪行に関する積年の懸案事項について問われた市長は、「一市民」の立場でとしつつ、「植民地支配は、歴史上の極めて遺憾な行為です。」と発言。
さらに市長は、1961年10月17日事件犠牲者追悼のために、様々な困難にもかかわらず記念プレートを設置したことについて言及しつつ、「誤りを犯した場合、皆がそれを正面から見つめなければなりません。」と語った。「憎悪が噴きだしました。でも、追悼プレートが傷むたびに私は、取り替えてきました」。このようなやり方によってこそ、真実を語る勇気を認めさせることも可能になるというのがドゥラノエ氏の判断だ。
この点に関して氏はまた、「許されざる悲劇」との言葉で2月27日、1945年5月8日のコンスタンチノワの虐殺について言及した、同席のユベール・コラン・ドゥ・ヴェルディエール大使の言葉をなぞった。
「この道を進んでいかねばなりません」。パリ市長は大使に向かってこう強調した。市長はさらに、「植民地支配という行為は不当なものであります。人々が平等で自由でなければ、文明社会は存在しえません。」と語った。また、氏は「真実に対峙しなければなりません。私は、植民地支配がポジティブな行為であるとは思いません。」と発言した。
つまり、2月23日、フランス国会で採択された、海外でのフランスの存在がはたしたポジティブな役割に言及する法律に対してはっきりとした態度を示したことになる。この法律は、激しい抗議の声、とりわけ「罪に関する、そしてジェノサイドにまで及んだことも少なくない虐殺に関する官製の虚構」と指摘する歴史家や教育者からの抗議の声を呼び起こしたものだ。
フランスはアルジェリア国民に向かって許しを請うのかとの質問に対してパリ市長は、フランスも含め、皆が自らの過ちを認めなければならないとの考えを示した。市長はまた、自国の当局に向けてやんわりとメッセージを伝えるかたちで、「ドイツの名においてヴィリー・ブラントがひざまずき、許しを請うたとき、ブラントはドイツの威光をさらに高めたのです。」と語った。さらに氏は、アルジェリア解放戦争戦死者慰霊施設の訪問が実現したことを喜びつつ、「過ちを認めることが自らを貶めることにはなりません。」と語った。
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参考
アルジェリア戦争について
『元老院議員私設資料展示館』内「
ド・ゴール伝 第3部その2」
フランスの歴史教育問題について(必読!)
『
ルモンドディプロマティーク』内「
教育的に正しいアルジェリア戦争」
パポンについて
『
think or die』内「
正義のための不服従」
フランスの「修正主義的」な法律をめぐる動きについては
media@francophonieさんに4/14の
リベラシオン紙の関連記事の全訳があります。
また、
le neantさんに
Times紙の解説記事の抄訳、短評があります。
『
カワセミの世界情勢ブログ』さんの「
欧州の周辺としての北アフリカ」もおすすめ。

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