2011/3/20  19:56

名誉を守り顕彰する  不屈 県版

治安維持法犠牲者の名誉を守り、顕彰するために
『和歌山県の治安維持法犠牲者』の改訂めざして

    その7 調査顕彰部 

(7)奈良県本部との情報交換


奈良県出身者の岸場アサ子(『犠牲者名簿』P30)に関わって、岸場末子(同P30)について奈良県本部に調査をお願いしたところ、アサ子と末子は姉妹であり、いずれも和歌山で結婚したとの情報が寄せられました。その時に1991年9月15日付の『奈良民報』が同封されており、石垣スエノのことが書かれていました。

その記事では「日赤和歌山病院に勤務し、その後大阪のアパートで逮捕され、ひどい拷問にあった」とあります。それでこれは犠牲者定義のBに該当するのではないかと思いましたが、詳しい情報が無いので困っていました。
そこに、奈良県本部から本人が書いた「戦前・戦後をたたかって」というB4判2ページの資料が届き、犠牲者定義のBに該当することがはっきりしました。その資料の中に「入院患者の井口」や「病院の前の林という印刷屋」などの記述があります。これは井口武雄(『犠牲者名簿』P19)、林三郎(同P52)に違いない、和歌山との関係がいよいよはっきりしてきたと思いましたが、確実な証拠がないので困っていました。
そんな時、偶然に小川龍一氏著『紀南地方社会運動史(第3分冊)』の中に「日高紡績の寮母上田末野」という小さな囲み記事(別項)を発見しました。その中には、「上田末野が日高紡績女工寄宿舎の寮母となった。元和歌山市日赤病院の看護婦、那賀郡岩出署の留置場を破って脱走し、大阪で活動中を再び逮捕された。元全協和歌山支部キャップ林三郎の妻である」とか、「上田は逮捕歴もあり、…魅力的なところがあり要領もよく文句なしに採用きれた…わずか二月たらずで退社届を出して大阪に去った」とかの記述がありました。
石垣スエノの旧姓は上田です。これではっきりしたと思い、この資料を奈良県本部に送りましたところ、関係者にコピーが配布され大変喜ばれたとの連絡がありました。

奈良県本部は和歌山県の『犠牲者名簿』作成の取り組みを参考にされて、調査研究部を設立し、奈良教育大学図書館で『特高月報』の調査を行っておられます。

(つづく)

■別稿 日高紡績の寮母上田末野

昭和七年八月中旬.上田末野が御坊町に来て、同町島、日高紡簸女工寄宿舎の寮母となった。上田は奈良県生れ、元和歌山市日赤病院の看護婦、昭和六年十一月事件で検挙され那賀郡岩出署の留置場を破って脱走し、大阪で活動中を再び逮捕された。元全協和歌山支部キャップ林三郎の妻である。港区抱月町のアジトで林が逮捕されたとき危うく逃れ、空家に寝たりシンパの家を転々していたが、日高紡績の寮母が辞めて後任を探しているときいて呼びよせた。和歌浦のシンパ津本増雄の妹と二人で来坊し、上田は岩崎というニセの戸籍謄本で採用され、同年九月末まで寮母として女工たちに強い影響を与えた。(小川電一によれば)上田は逮捕歴もあり、もし尻っ尾を出せば津本という計画であったが、魅力的なところがあり要領もよく文句なしに採用された。女工さんたちも姉のようになつき、上田の髪かたちを真似るものが続出するほど影響力があった。彼女が来てからは日高紡績の女工たちも映画サークルに加ったが、わずか二月たらずで退社届を出して大阪に去った。いろいろ批判して踏みとどまるよう説得したが、最後は上部機関の指令だと言うのでとめようがなかった。

不屈和歌山県版 235 2011/03/15 4面
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