2006/8/23  0:14

戦争責任のとり方  戦争責任と国家賠償


二、国家としての戦争責任

戦争責任のとり方

戦争犯罪人は個人ですが、戦争をおこなった国家もその責任を問われます。その形はさまざまですが、日本の降伏の条件をさだめたポツダム宣言では、軍国主義勢力の除去、日本の領土を本州、北海道、九州、四国および連合国のさだめる諸小島とすること(台湾、朝鮮、南サハリンを日本の頷土からとりあげること)、日本軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰、実物賠償の取立てと軍需産業の禁止ということがさだめられていました。

このように戦争に負けた国から領土をとりあげたり、賠償金をとりたてたり、極端な場合には敗戦国全体を併合してしまうというようなやり方は音からおこなわれてきたことで、日本も日清戦争のときには中国(清)から台湾を奪い、二億テールという賠償金をとりたてました。これは当時の日本円にすると三億一千万円といわれ、現在の貨幣価値ではどれくらいの金額になるのか、ちょっと分りませんが、とにかくこの陪償金によって日本は金本位制をつくりあげることができたといわれていますから、かなりの巨額であったと思われます。日露戦争のときは南サハリンを奪い、中国東北部(満州)での利権を獲得するなど、いくつかの獲物を手にいれましたが、ロシア側に譲歩して賠償金をとらないことにしたため、これに不満をもった一部の人びとが「日比谷の焼打ち事件」といわれる暴動をおこしたりしました。

満州事変にはじまり第二次世界大戦にいたる戦争(これを最近は「アジア太平洋戦争」と呼ぶようになっています)をひきおこした日本にたいしても、すでにのべたように賠償の要求がつきつけられました。しかしこれは賠償金という形ではなく、実物賠償という形でした。しかもそれはいますぐ取りたてるということではなく、「実物賠償の取立てを可能ならしむるが如き産業の維持」をみとめるということ、つまり、将来、産業が復興してから賠償を取りたてるという比較的寛大なものでした。ポツダム宣言がこの点では比較的寛大であった理由は、よく分かりませんけれども、おそらく、第一次大戦後にドイツにたいして、1320億金マルクという巨額の賠償金を要求し、そのために天文学的といわれる超インフレをひきおこし、かえってドイツの復讐心をあおりたて、ナチスの台頭をゆるしてしまったという反省が、連合国側、とくにアメリカにあったように思います。
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2006/8/26  22:44

投稿者:i

国家の戦争責任@


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