調査・顕彰部 M本 ・ I
和歌山県本部は、一一月一八日に恒例の「不屈」バスツアーを行ない、総勢三六名の参加で「紀ノ川筋」の治安維持法犠牲者の墓参や顕彰碑訪問を行ないました。
今回訪れた犠牲者は、北林トモ・芳三郎、西光万吉、高山与四郎、蓬台恒治の方々で、いずれも治安維持法で検挙・投獄(芳三郎を除く)されています。
北林トモさんは、『特高月報』によれば伊藤律の自供によって一九四一年九月に検挙され、これが発端となりゾルゲや尾崎秀美の検挙につながった、「ゾルゲ事件」の被告です。芳三郎さんはトモさんの夫で、検挙されたがスパイとは認定されず、釈放されています。
西光万吉さんは、3・15事件で検挙されました。一九二二年に全国水平社創立大会を開き、水平社宣言の起草者として有名です。
高山与四郎さんは、一九三〇年二月の全国一斉大弾圧で検挙されました。戦後は貴志川町会議員や日本共産党県委員会顧問として活躍しました。
蓬台恒治さんは、一九二六年一月の「京都学連事件」で検挙された三八人の中の一人として、治安維持法適用第一号となった人です。
今回のツアーの計画・実施に当たり、地元の那賀支部の皆さんが事前の道路状況の調査、遺族・関係者への訪問、現地での説明者の準備、足の弱い人のためのワゴン車の準備など、大変な努力をしていただきました。本当に有難うございました。
犠牲者の遺族・関係者の訪問では、「墓参りをしてくれるのか」と喜ばれたり、「犠牲者を誇りに思っている」との声を聞くこともできました。また、ある遺族の方からは当日お土産に蜜柑二箱もいただきました。
犠牲者の思いを心に刻み、再び戦争と暗黒政治を繰り替えささない決意を新たにする秋の一日でした。
橋本・伊都支部 U ・ H昭
不屈バスツアーは充実した一日でした。北林トモさんの墓参に先立って、氏の生前の日常生活を身近にながめ、お住いの目の前の橋の上から特高が、二四時間見張っている様子におののき、逮捕されていく姿を見守ったという生き証人を探し出して、その方から聞き取りした話を聞き、こんな近くに、あの暗い時代の生々しい歴史があったことを初めて知りました。
粉河寺住職さんからは、時間がない、時間がないと言いながらも、日頃の住職の世界からは、縁遠く、無神論者が多いであろう私共に対し、親しみをこめてユーモアに、寺の由緒ある来歴や重要文化財のお話をいただき、有難く拝聴いたしました。

そして、同窓のT橋さんとM本さんの粉河寺参拝のお願いに心から応えてくださった人間関係のつながりの大切さを痛感しました。
最後に、昔読んだ『橋のない川』の主人公秀昭のモデルである西光万吉さんの晩年のお話や、歴史民俗資料館と寓居跡の見学など、那賀地方の歴史の豊かさとお世話をして下さった方々のご尽力により、充分満足の行くバスツアーでした。
有難うございました。
(写真= 西光万吉氏寓居跡にて)
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事務局 M ・ S子
念願の冊子『和歌山県の治安維持法犠牲者』が編纂されて最初の『紀ノ川筋の犠牲者の郷を巡る』今年のバスツアーは、和歌山大学の学生の調査研究で初めて知った「北林トモ」さん(「ドルゲ事件」に関った粉河の女性)や、私も青年時代に出会ったことがある懐かしい「高山のおいやん」など、諸先輩の数奇なエピソードに触れ、新しい日本の未来を切り開いてこられた先覚者のご苦労に、あらためて☞感銘を受けました。
橋本・伊都支部のT・Tさんと和歌山大学経済学部の同級生という誼(よしみ)で、粉河寺・逸木山主様からのお寺の歴史や「次は国宝」候補ともいわれるお庭や宝物についての学術的なお話を、しかもおもしろくしていただきました。三〇分という時間があっという間でした。もっと聞きたいお話でした。
また、小説『橋のない川』のお寺の息子のモデルと言われる西光万吉氏の寓居跡では、通りすがりの人も私たちの話に加わり、子どもの頃に見知っていたという西光万吉氏について、『水平社宣言草案をつくった立派な人やけど、『反戦』やなかったことがなぁ……』との言葉が印象に残りました。
冊子『県内の犠牲者』を巡り尽くし、自分自身とのつながりを強めながら、治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を要求する運動を広げたいと思っています。
このツアーに当り、事前調査やお墓の清掃、バスの手配などに奔走いただいた那賀支部の皆様に感謝申しあげます。
(写真= ツアー参加者のみなさん)
不屈県版196号 2008年1月15日