オーディオケーブル専門SHOP「けーぶる舎」SHOPマスターの音楽ブログです
2009/9/6
ボブ・ディランのニューアルバム”Together Through Life”、最近の彼に珍しいスタジオ録音盤ということもあって聴いてみました。
ティーンエイジャーの頃、同時代の多くの人たち同様ボブ・ディランに夢中でした。
担任の抜き打ちチェックでカバンに忍ばせていた“Jhon Wesley Harding”の輸入盤を見つけられてしまい職員室で大目玉を喰らったことも。
英語専攻だった担任は、それでも「これ、なかなかいい詩じゃないか」とお説教のあと私を笑わせてくれた・・・今では懐かしい想い出です。
思えば“New Morning”あたりが最後だったでしょうか、徐々にディランから離れていった私。
別にディランを嫌いになったわけでもなく、単に他のジャンルに関心が移っていったためでした。
さて”Together Through Life”はブルースアルバム、それも絵に描いたような典型的なブルースアルバムです。全曲は一貫してゆったりとしたスロー〜ミディアムテンポ、変哲のないブルースコードに支配されており、ディランの枯れた声、そしてアコーディオンをはじめとするアコースティック楽器の素朴なバック演奏と相まってシンプルながらいい味を醸し出しています。
とりわけオリヴィエ・ダアン監督作品「マイ・オウン・ラブソング」のために書かれたという’Life Is Hard’は疑いようもない珠玉の一曲ではないでしょうか。
けれど、、、、
このアルバムを聴いていて、どこか満たされないものが残ったのも事実でした。
私の知っていた、あのボブ・ディランがどこにもいない!
もちろん才気溢れる初期の独創的な音楽とこの枯れたブルースアルバムを比べること自体、的外れで無粋な行為であることは承知しているつもりです。
それでも、“Together Through Life”には何かあまりにも当たり前すぎる、退屈さが感じられてしまいます。
「メンフィス・ブルース・アゲイン」、「アイ・ウォント・ユー」、「ライク・ア・ローリングストーン」、「寂しき4番街」、「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」、「スーナー・オア・レイター」、そして「ミスター・タンブリンマン」、、、、眩しいほど煌めいていて、瑞々しく感傷的なまでのリリシズム、、、若き吟遊詩人ボブ・ディランは、あまりにも遠くに行ってしまった。
自らの過ぎた日々を想うように、今は、失われたディランの若き日の輝きを懐かしむほかないのでしょうか・・・
[DATA]
BOB DYLAN「TOGETHER THROUGH LIFE」
Sony Music Japan SICP 2237
2009/2/26
東北地方の、とある雪国を旅しました。
雪の降り積もる様子を、宿の窓からぼんやり眺めていると、
フォーレの「ピアノ五重奏曲第一番」が浮かんできました。
美しいピアノのアルペジオの中を、第二ヴァイオリンが切なく、どこか儚い旋律を奏でて始まる導入部は、まさに空から雪の片の舞い降りる様のようです。
フォーレ「ピアノ五重奏曲第一番ニ短調Op89」(1903)
ピアノ五重奏という形態にありがちの重苦しい響きがなく、
軽く繊細な美しさが全体を支配しています。
メロディの美しさ、開離配置の和声による軽やかな響き、
そしてスケルツォを置かない3楽章形式・・・負担が軽く、親しみやすい曲ではないでしょうか。
レクイエムは大好きだけど、フォーレの他の曲へなかなか進めないでおられる方にお聴きいただきたい曲です。
フォーレの作曲技法の中で避けて通れないドリアの和声法。
全作品を通じて彼ほどこの和声法を好み、多用した作曲家も珍しいと思います。
勿論この「ピアノ五重奏曲第一番」でも随所に登場し、
曲を神秘的にすることに貢献しています。
音楽を学ぶ人が一度は通る
アンリ・シャランの「380の和声課題集」。
その第4巻は、まる一巻を割いてドリアの和声法を解き明かしています。
(コンセルヴァトワールで教鞭をとったシャランが大先輩にあたるフォーレに捧げたオードにも思えます)
フォーレの神秘的な和声法に関心のある方はぜひ取り組んでみて下さい。
※かつてはティッサン=ヴァランタンの名盤がありましたが、
今では入手し難いので、コラール盤をお奨めします。
やや遅いテンポでじっくりとこの曲の持つ魅力を聴かせてくれます。
[DATA]
Faure :「ピアノ五重奏曲 第一番ニ短調」
Pf)コラール
SQ)パレナンSQ
EMIミュージックジャパン
(規格番号:TOCE-13414)
2008/12/6
また(?)クリスマスです。
一年の過ぎ去ることの何と速いことでしょう。
(歳のせいでしょうか、、)
古今のクリスマス曲の中でも屈指の名曲、
「ザ・クリスマスソング」。
メル・トーメの作品を聴きたいと思います。
解説は不要でしょう。
窓の外に静かに降り積もる雪を眺めながら、
暖かな部屋で聴きたい曲です。
体を温めてくれる一杯の美酒があれば、更に文句なしですね、、、
ザ・クリスマスソング
栗の実を焚き火で炙れば
冬将軍が鼻先を突く
聖歌隊はクリスマス・キャロルを歌い
みんなエスキモーみたい
誰もが、七面鳥や宿木が
この季節を明るくすることを知っている
子供たちは瞳を輝かせ
今夜は眠れなくなりそう
橇いっぱいにおもちゃやプレゼントを積み
サンタが向っているのを知っているから
そして、どの子もみんな
トナカイがどんな風に飛ぶのか知りたがってる
私はこの素朴な歌を
1歳から92歳までの子供たちに贈りたい
昔から何度も そしていろんな言い方をされてきたけれど
「あなたのために、メリー・クリスマス!」
※アメリカTelarcからメル・トーメ自身の歌うクリスマスソング集も入手できます。
[DATA]
Mel Torme :「Christmas songs」
米Telarc
EAN: 0089408331527
UPC: 089408331527
2008/7/25
ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボス(1887-1959)の大作『ブラジル風バッハ』の中に、「カイピラの小さな汽車」という機関車の走る様を描いた音楽があります。
素晴らしく精緻に書かれた描写音楽ですし、もともとは楽しいオーケストラ作品なのかも知れません。
けれど、田舎の小さな機関車が重い荷物を積んで一所懸命に走って行く姿にはペーソスが感じられます。
もしかすると許容能力を超えた重荷なのかも知れません。
カイピラの小さな汽車は文句もいわず走り続けます。
あるいは登り坂の多い線路なのかも知れません。
小さな汽車は歯をくいしばって走り続けます。
どこか哀愁が漂うのは、人生というレールをひた走りする人間の姿と重なるためでしょうか。
困難を生きる人達への共感やエールが込められているようにも感じます。
「カイピラの小さな汽車」が世界中で愛される理由が分る気がするのです。
※カポロンゴ指揮による演奏は、この曲が「田舎の(カイピラ)」、
そして「小さな」汽車であることを上手に描いた好演です。
[DATA]
ヴィラ=ロボス作曲「ブラジル風バッハ」
Cond)ポール・カポロンゴ
Orch)パリ管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン
TOCF-59148
B0000896N0
2008/3/20
ブラームスはお好き?と訊かれて
イエスと答えない人も少なくないようです。
勿論クラシック愛好家の人たちの中に。
理由を尋ねると、
「重苦しい」、「暗い」、「新鮮さがない」、「楽しさがない」等々・・・
有名な「交響曲第一番」をはじめとするオーケストラ作品から来る印象、というのは小さくないかも知れません。
じっさいにはいうまでもなくオーケストラ作品に限らず、室内楽や独奏曲においても数えきれない名作を残しています。
例えば、晩年のピアノ作品
「3つの間奏曲 (Op117)」、「6つの小品 (Op118)」、
そして「4つの間奏曲 (Op119)」
を聴かれるでしょうか。
静かで穏やかな楽想の中に詩的なイメージを表現していて、中にはフランス近代の作品を思わせるような新鮮な曲さえあります。
あるいはこれらのピアノ小品集がブラームスへの印象を変えるきっかけになるかも知れません。
グールドの盤が有名でしたが、私は長年チッコリーニ盤を愛聴していました。
この盤が現在手に入らないことはたいへん残念ですが、最近素晴らしい演奏に出会うことが出来ました。
Brilliant Classicから出ているホーコン・アウストゥボの盤です。
ブラームス嫌いの人を少なくしてくれそうな(?)、
これはたいへん新鮮な演奏です。
※やや間接音の多い録音です。
そのような響きを嫌われる方にはお薦めできません。
[DATA]
Brahms Piano Pieces
Hakon Austbo(pf)
Brilliant Classic BRL99941
2007/10/18
夏が終わり、冷たい風の吹く季節になりました。
身も心も暖を求めるそんなとき、
私はビヴァリー・ケニーの歌声が無性に恋しくなります。
エラやサラ、またカーメン・マクレイのような大歌手ではないかも知れない。
人気のダイアナ・クラールのようにビターでパワフルな押しの強さもない。
けれど、ビヴァリー・ケニーの優しく、可憐なささやきが聴きたいときがあるものです。
28歳で自らの命を絶った彼女の死にまつわる逸話は多く聞きますが、
むしろ残された6枚(未発表デモ盤を除いて)のアルバムの中に生きている彼女を語りたい気がします。
ルーストに3枚、後にデッカに3枚を残してくれたビヴァリー。
いずれもタイプの異なる魅力的なアルバムたちです。
もしもビヴァリー・ケニーを聴いたことのない方がおられますなら、まずはデッカの3枚をお奨めしたいと思います。
彼女のスタイルが確立され、高い完成度を持つ録音だからです。
(もちろんルーストの3枚も若く可憐な彼女の魅力が堪能できます)
とりわけ彼女のラストアルバム「ライク・イエスタディ」と
「シングス・フォー・プレイボーイズ」の2枚はお奨めです。
前者はビッグバンドに女性ヴォーカルソロという往年の華麗なスタイルを懐かしむアルバム。
もっともビヴァリーの場合は、好みの小さなコンボをバックに伸び伸びと楽しげに歌っています。
後者はピアノ(とベース)のみをバックにしんみりと、けれど温かく語りかけます。
人の心の中にはいくつもの部屋があって、
大事な仕事部屋があり、お客様をお迎えする応接間もあれば、パーティー用の大広間だってあるでしょう。
しかし自分しか入れない静かな書斎が必ずあるはずです。
そこでは、この人の歌を静かに流していたい。
それだけで部屋の中は暖まるような気がするから。
ビヴァリー・ケニーはそんなタイプの歌手ではないでしょうか。
※「ライク・イエスタディ」は貴重なステレオ録音です。
「ライク・イエスタディ」
ビヴァリー・ケニー(Vo)
MCAビクター:B00003Q49V
「シングス・フォー・プレイボーイズ」
ビヴァリー・ケニー(Vo)
ユニヴァーサルミュージッククラシック:B000GUK5L8
2007/7/25
昔、とある小ホールの楽屋でのことです。
その日の仕事を終えたあるピアニストが、小さいけれどはっきりした声でこう囁いたのを、私の耳は捉えました。
「フォーレのピアノ曲はどうもねぇ、、、なぜ歌曲のように魅力のあるものを残してくれなかったんだろう。」
じつは、フォーレのピアノ曲に関しては、当時私自身もこのピアニストの方と同様の感想を持っておりました。
どうも取り付きにくく、というより、あまり好きになれなかったというのが正直なところかも知れません。
少なくとも今日話題にしようとしているジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンの演奏を聴くまではそうだったと思います。
ティッサン=ヴァランタンの弾くノクターン(夜想曲)集を聴いたとき、ようやくフォーレのピアノ曲という扉の錠が開けられたのでした。
たとえば多分に旋律的でロマンティックな「ノクターン1〜5番」、しかし三部形式の中間部の楽想に、何か不自然さというか、唐突さを感じないでしょうか。
ティッサン=ヴァランタンはこうした中間部に力んで変化を付けようとせず、きわめて自然に、さらりと流してしまいます。そうすることによって、これら中間部はじつにスムーズに前後と繋がり、全体のバランスが整うのです。(「さらり」とはいっても、この絶妙な強弱とアゴーギグの使い分けがあればこそでしょう、、)
彼女は、フォーレらしい夢幻に満ちた6〜8番も、そして後期のやや沈鬱で晦渋な楽想の見られる9番以降も、それぞれの時代におけるフォーレの心情を追体験するかのように、作品の内面に深く、深く入り込んでいきます。
こうした演奏を聴いていますと、聴き手の方も(ティッサン=ヴァランタン同様に)、フォーレの心情を追体験してしまいます。
そして、もはやこれらの作品は取り付き難いものではなくなり、逆にとても親しみのある音楽に変わってしまうのです。
ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン、このピアニストがいてくれて本当によかったと思います。
そうでなければ、私はいまだにフォーレのピアノ曲の素晴らしさを知らないままでいたことでしょう。
[DATA]
ガブリエル・フォーレ作曲「13のノクターン」
pf) ジャメーヌ・ティッサン=ヴァランタン
(英国TESTAMENT:SBT 1262)
2007/4/4
今年の桜はいつになく早く散ってしまいそうです。
今この時も花びらが強風に吹かれて雪のように乱舞しています。
この桜の花びらの散るさまを見ていると、いつも思い出す音楽があります。
道端に一本の菩提樹が立っていて
その木の下で、私は初めて安らかに眠った
花びらが私の上に降りそそぎ
私は今までの人生の仕打ちを全部忘れた
すべてが昔どおりに素晴らしいものに感じられた
すべてのものが、
感情も苦しみも、そして世界も、夢も
マーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」の最終節です。
恋にやぶれた主人公は懊悩の中、行くあてもない旅に出ます。
疲れきった彼はやがて一本の菩提樹の下にからだを横たえ、
雪のように落ちてくる花びらの下で、ひと時の安らぎを得るのです。
この作品の録音にはどうしても除くことの出来ない名演があります。
若き日のフィッシャー・ディスカウと巨匠フルトヴェングラーの競演です。
この上なく瑞みずしい演奏で、聴く者をこの美しい世界に引き込みます。
フィッシャー・ディスカウの繊細さと共に、フルトヴェングラーという詩人の魅力を存分に味わうことの出来る名盤であり、この美しい季節におすすめの一枚です。
[DATA]
マーラー作曲「さすらう若人の歌」
Br)ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウ
Cond)ウィルヘルム・フルトヴェングラー
Orch)フィルハーモニア管弦楽団
東芝EMI:TOCE-59089
録音:1952年
2007/2/28
東洋のアーティストCoco Leeを採り上げたいと思います。
東洋のマライアという異名を持つ歌姫Coco Lee(李 [王文]リー・ウェン)は、1975年香港生まれの中国人。
幼い頃父を亡くし、医者である母、そして二人の姉達とアメリカに渡ります。
早くから歌手を目指していた姉達と違い、末っ子Cocoは母の後を継ぐべく勉強一筋のまじめ少女でしたが、17歳の時とあるコンクールに飛び入り参加することになり、歌の才能を認められてしまいます。
ここから先はとんとん拍子に人気シンガーへの道を上り詰め、現在台湾を拠点にアジア、アメリカで大活躍しています。アジアでは1000万枚近いCDセールスを記録しているそうです。
なぜか日本でだけあまり彼女の名を聞くことがないのが、とても意外です。
Coco Leeの才能には驚嘆してしまいます。
R&B、ダンスミュージックなど、アメリカ発祥の音楽ジャンルにおいてもアメリカ人に負けないノリを見せます。東洋のマライアと呼ばれますが、ときにマライア以上ではないかと思わせるほどです。
しかしCocoの本領は、バラードにおける豊かな情感表現でしょう。
東洋人でなければ表現出来ないようなデリケートな情感を聴くことができるからです。
更にクラシックの声楽家にも負けない程の歌唱力に驚かされます。
ディスニーの名作アニメ「ムーラン」中国語版吹替えをジャッキー・チェンと担当したのが彼女です。映画の中では一部クラシック風の発声も聴かせています。
日本では「Just No Other Way」(1999、すべて英語)のみ発売されましたが、Cocoの本領はむしろ中国語のアルバムに見いだすことができるでしょう。
1998年の「過完冬季・暗示」、そして2001年の「PROMISE COCO」など、その素晴らしさに驚かない人はいないと思います。
東洋の歌姫Coco Leeを、同じアジア人としてたいへん誇らしく思います。
< Coco Lee:「Reflection」北京語版(ディズニー「ムーラン」主題歌)>
→ http://www.youtube.com/watch?v=0485QptsZX0
< Coco Lee:「暗示」>
→ http://www.youtube.com/watch?v=jvGwawMpY1o&mode=related&search=
< Coco Lee:「Before I fall in luv」(映画「リトルブライド」主題歌)>
→ http://www.youtube.com/watch?v=E79J6wYGk1s&mode=related&search=
< Coco Lee:「答案」(映画「美少年の恋」主題歌)>
→ http://www.youtube.com/watch?v=7dnccrSXjBM
< Coco Lee:「Still In Love」>
→ http://www.youtube.com/watch?v=IOoE6NLVVjU
[DATA]
Coco LeeのCDはyesasia.comで入手可能です。
(http://global.yesasia.com/jp/artIdxDept.aspx/section-music/code-c/version-all/aid-117/ )
2007/1/19
30年ほど前になりますが、NHKでお正月の特番としてモーツァルトの「フィガロの結婚」を放映したことをご存知の方は多いと思います。
ベーム、ウィーンフィルによる「フィガロ」はむしろ1966年のライブ版の方が名演の誉れ高く、多くの音楽ファンに愛聴されています。
同じベームによるこの演奏は特別企画版で、ステージのライブではなく、まるで映画のようにリアルな実写によるものです。名歌手たちもまるで映画俳優のような演技をしており、いわゆるオペラの記録とはいえないものかも知れません。
しかし若い日の私はテレビで見たこの「フィガロ」でオペラなるものに開眼しました。
愉悦に満ちたバラ色の世界に魅了され、オペラのレコードを買いあさったことが懐かしく思い出されます。
ケルビーノの「自分で自分がわからない」や「恋とはどんなものかしら」、、、
今でもアリア集などで聴くことの多い曲たちですが、何度聴いても魅力の失せない不思議な音楽です。
いろいろなオペラ作品に触れましたが、私には「フィガロの結婚」がベストです。
これ以上の作品に出会ったことがありません。
ストーリーは世俗的なものなのに、この音楽の世界の何と高尚なことでしょう。
この世の汚れのいっさい感じられない天上の音楽です。
思えばモーツァルトの作品のすべてがそうではないでしょうか。
本当に不思議な、不思議な音楽です。
私は、上記の経緯があったためか、お正月のたびに「フィガロの結婚」を思い出し、DVDで鑑賞するのです。
今はDVDの普及で、いつでも見たいときにこうしたオペラを鑑賞することができます。
便利な時代になったものです。
[DATA]
「フィガロの結婚」
カール・ベーム指揮,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ,キリ・テ・カナワ,ミレッラ・フレーニ,ヘルマン・プライ他
ユニバーサルクラシック:B0009V1EZU
2006/11/28

早いもので、もうクリスマスの声を聞く頃となりました。
キリスト教と無縁の日本人にとっても、この行事はすっかり暮れの催しとして定着してしまいました。
思えばこれほど「音楽」と深く結びついた行事も少ないと思います。
古今東西にこの日に因んだ数多くの名曲が存在しており、これからの時期、ここぞとばかり街中に溢れます。
中にはありきたりのクリスマスソングに少し食傷気味の方もおられるかもしれません。
一度、今まで聞いたことのないクリスマス音楽というものに耳を傾けてみては如何でしょうか?
オネゲル作曲「クリスマス・カンタータ」(1953)
これが今日お奨めしたい曲です。
アルテュール・オネゲル(1892-1955)はドビュッシーやラヴェルに続く、フランス近代音楽の作曲家です。
機関車をテーマにした「パシフィック2・3・1」や、「ラグビー」のような面白い曲があり、いずれも力作であり、人気もあります。
「クリスマス・カンタータ」はオネゲルの最後の作品、いわば白鳥の歌です。作曲家の白鳥の歌なるもの、極めつけの名曲であることが多く、この曲もその例に漏れず傑作中の傑作です。
「クリスマス・カンタータ」といってもバッハの宗教曲(例えば「クリスマス・オラトリオ」)のように長大な曲ではありません。わずか20数分、聞き終えるために苦痛を味わうこともないはずです。
曲は旧約聖書の詩篇「深き淵より」から始まります。
自らの罪の重さに耐えかねる人類の苦悩と絶望を描きます。
やがて清らかな少年合唱、そしてテノール独唱で福音(救いの知らせ)が告げられます。
救世主(メシア)キリストの降誕です。
曲は重苦しさから開放され、明るく清澄な楽想に変わります。
賛美歌「エッサイの根より」を中心に、どこかで聴いたことのある懐かしい賛美歌、ノエルが幾重にも折り重なりながら歌い継がれます。オネゲルの対位法の見事さが光ります。
やがて誰ひとり知らぬ人のない「聖しこの夜」が聞こえてきます。
いくつものノエルが絡みつきながら、曲は「聖しこの夜」で感動のピークを迎えるのです。
ここからコーダに至る音楽を聴いて、熱い涙を流さない人はいないでしょう。
ところで、この曲を聴くのは、いつも一年を振り返る頃。
今年もいろいろな出来事が起こり、いろいろな仕事をし、いろいろな失敗をした。
たくさんの課題も残してしまった、、、
私はベストを尽くしたろうか?
これで良かったのだろうか?
私同様、今年一年の自分に悔いを残してしまった方もおられることでしょう。
しかし、来年があります。
来年は、やりましょう。
来年こそ良い年になるかも知れないのですから・・・
[DATA]
オネゲル「パシフィック2・3・1(管弦楽曲集)」
マルティノン指揮、フランス国立放送局管弦楽団・合唱団
東芝EMI TOCE-9826(TOCE-13289)
2006/10/7
イギリスの音楽といえば何が思い浮かぶでしょうか。
バロック音楽のビッグネーム、ヘンリー・パーセル、
あるいはそれ以前にウィリアム・バードやダウランド、
ドイツ・オーストリアの大家が主導権を持ったロマン派の後期にはエルガーやディーリアス(イギリス生れのドイツ人)、
近代に入り、ベンジャミン・ブリテン、、、
いずれも優れた音楽家たちですが、何か少し地味な作風を感じます。
しかし、この「地味」ということこそ英国人独特の美学なのかもしれません。
華やかで大袈裟なものは、英国人にとってクール(粋)じゃないのです。
アルフレット・デラーの歌う「FOLKSONGS」というアルバムを聴いていると、そう思わずにいられません。
アルフレッド・デラー
1912年イギリス東南部ケント生まれ。11歳で聖歌隊に参加、27歳でカンタベリー寺院のアルト歌手となる。1944年カウンターテナーでロンドンデビュー以来国際的に認められるようになった。1950年声楽アンサンブル「デターコンソート」を結成し、故郷ケントで「ストゥア音楽祭」を主催し、レオンハルト、アルノンクール、ブリュッヘンらが参加。1976イタリア、ボローニャで逝去。
「FOLKSONGS」はアナログ時代に発表され(録音:1971年)、大きな反響を呼んだレコードです。
「Barbara Allen」、「The water is wide」、「Down by the sally gardens」などイギリスやアイルランドの民間に伝わる古謡をリュートやギターの伴奏でじつに味わい深く歌い、イギリス音楽の魅力を世界中に広く知らしめました。
録音された歌の多くは17世紀にトマス・パーシーの編纂した「Reliques of Ancient English Poetry」あたりに起源の見いだせるたいそう古い民謡です。
クラシック、ポピュラーに係わらず、このアルバムから大きな影響を受けたアーティストは数知れず、今日のケルトミュージックブームの草分けともなったレコードです。
歴史的な価値も大きい録音ですが、残念ながら日本ではCD化されていないようです。
素晴らしいアルバムなので、一日も早いCD化を望みます。
(現在はドイツ輸入盤などで入手可能です)
イギリス古謡はどれも美しい旋律と共にたいへん優れた詩を持っています。
ここに一曲だけご紹介したいと思います。
「やなぎの園」
(作者不詳)
やなぎの園のすぐそばで
恋人とわたしは会った
恋人は雪のように白く小さな足でやなぎの園を通りぬけ
木の枝に若葉が繁るように、愛を気軽に考えようといった
だが、若くて愚かなわたしは同意しなかった
野辺の川のほとりに、恋人とわたしはたたずんだ
わたしの肩に、恋人は雪のような白い手をおいて
堰に草のしげるように、人生を気軽に考えようといった
だが若くて愚かだったわたしは、
いまになって涙にくれている
(訳詩:佐藤 章)
[DATA]
Alfred Deller「FOLKSONGS」
Contre-tenors)Alfred Deller
Guit & Lute)Desmond Dupre
独harmonia mundi HMA 195226