2013/3/26

エイゴの授業  雑記

学校の英語教育は英語でやれ、と文部大臣がさわいでおりますね。

たぶん正しいと思う。英語を身に着けるなら、まずは英語で考える頭を作ったほうがてっとりばやい。
でも皆が同じように習得できるわけではないし、今の教育体系のなかでは相当に落ちこぼれる生徒もでてくるだろう。

なにも平等にする必要はないから、伸ばせる子、伸びる子はどんどん伸ばしたほうがいいにきまってる。これから教育のシステム含め、見直しの時期に来ているんだと思うし、公立、私立をとわずそれぞれの個性、将来を見据えたいろんな選択肢を作っていいと思う。

財政的問題のある家庭には、どうフォローするかなど、高齢者ばかりに配分されている予算バランスを見直して、子育てや教育にもっとお金をかけて将来の日本を作るほうにまわしたほうがいい。女性にゆとりが生まれれば、消費も刺激されて経済にもいいことが多いだろう。

今は高齢者が選挙のカギをにぎっているけど、一票の格差をなくし、ネット選挙をひろめ、地方の利益誘導型ではない選挙になれば、そうもいかないだろうし。そしたら議員らも向く方向がかわるだろう。
社会保障をなくす必要はない。けど将来の社会のために投資する環境にするため、既得権に左右されない見直しを徹底できるのは、今力を持っている政府の決断次第かもしれない。

それはさておき中学のとき、転校した先(卒業した中学)で英語の授業を担当していた先生は、いってみればその英語だけの授業の先駆者ともいえたかもしれない。
完全ではないけど、ほぼ一貫して授業の大半を英語だけで通していたからね。

でもそのくせのある発音に違和感を感じた僕は、いつもその先生に食ってかかっていたことがある。アメリカ英語やイギリス英語のラジオやテレビを聴いていたから、それとは全然違うと思ったから。

でも僕の偏屈な態度にしびれを切らしたその先生に、あとでこっぴどく叱られて、あるとき別の授業をうける僕を他のクラスまでひっぱっていかされて、廊下から授業を無理やり見学させれたなんてこともあった。まぁバケツを手にして廊下に立たされているようなもんだね。

英語はアメリカ、イギリスだけではなく、インド、シンガポール、香港、アフリカ、いろんな国々にいろんな英語がある。
ネイティブだからどうだなんて関係ないんだよね。

その先生と何十年ぶりに同窓会で再会したとき「俺も若かったから、お前だけには負けないようにいつも頭ひねってたんだよ。テストもお前だけには点数とらせないようになんてな」なんて笑いながら話してくれた。「お前のことは一生忘れないよ(笑)」だなんて光栄なことだ(笑)。
僕もとっても懐かしく話をできた。

自分としては英語は好きな教科だったし、中学卒業までテストも満点かそれに近い点数をとっていたけど、いかんせんネイティブスピーカーはもちろん英語で話す機会はなかった。
英語弁論大会のようにあらかじめ文章化されたものを話すのとは別にして。

高校入学と同時に、クラスにアメリカ、ポートランドから交換留学生が来てくれた。
ところがこれが自分にとっても初めての異文化との接触。
教科書どおりにはいかないのだ。

頭のなかで日本語から一旦英語に翻訳し、それを口にしたら最後またたくまに返され、それをまた英語→日本語、とやっているうちにわけがわからなくなってしまう。
これでは会話ではない。もちろんそれなりに意志が通じたりはしたのかもしれないけど、まったくもって宇宙人と会話しているようなもの。

それからしばらくは英語を真剣に学ぼうとはしなかったから、社会人になってからやり直すっていっても大変。
いっとき通勤時間、休み時間などあいている時間をすべて費やして復習したこともある。

今も仕事で使う機会は多いけど、どうせなら最初から難なく話せるにこしたことはなかったよね。
日本語そのものや、日本語で考えること、日本のことを知ることなくして海外とのコミュニケーションはありえないけど、少なくとも語学だけに関しては英語で考え、英語で話せるようになって損はないと思う。ぜったいに。

それに仕事でもプライベートでもコミュニケーションに不自由しないってほうがいいんじゃない?異文化理解にも役立つしね。


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2012/8/15

テレビだけではすまないので  雑記

28年お世話になったNEC21インチ、ブラウン管はまだまだ元気なんだけど、スイッチがいかれては電源はいりません。

叔父にお世話になった思い出のテレビですが、ついに我が家から旅立っていきました。
トロ姉さんがいうように結婚する前からずっと使っていた長寿の電化製品だっただけに、ちょっとさびしいです。

しかし大型テレビがはいったおかげで、テレビをおく台もスペースの関係でスピーカーも買い替えなくてはなりません。接続ケーブルも。。。
えらい出費です。赤字です(泣)

スピーカーは新しいのが到着(タワー型の細長いやつ)きたら処分です。
こいつは大学はいったときからの付き合いですから、かれこれ34年になります。
いまもコーンはしっかりしていて、中域をがっつりと再生してくれていますが、低域と高域がよわく、今のデジタル音楽環境にはちょっと向かないのはしかたありません。

今はなきダイアトーンのDS25B、こちらはオークションにだすか近所のハードオフに出すか思案中なので、欲しい人はご連絡ください。

でも大型テレビ(42型)に変えたことで、いままで見ていた映画やドラマなどのコンテンツの見え方も変わってくるもんです。
ディテールがよく見えるし、背景の作りこみも余計に気になってきたり、大型ならではのロングのシーン、昔のシネマスコープのような横長の映画(これはぜひスパルタカスや2001年宇宙の旅など見直してみよう)に、今までの小さなテレビでは見えないものが見えてきます。

これで我が家の電化製品関係古株はDENONのレコードプレーヤー。パイオニアのLDプレーヤー各1台を残すのみ。
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2012/1/13

同窓会実行計画  雑記

今週末はトロ姉さんの中学同窓会だそう。
数十年ぶりにあう皆さん、さぞお変わりのことでしょう。
たぶんひとめあっても「???」だったりする。またそれが楽しかったりするわけですが。

僕が卒業した中学の同期も今年、秋に集まろうということになりつつあります。
東京あたりで一度、そして札幌で9月に、という計画で。

まだ細かいところをつめておらず、どこまで具体化できるのかわかりませんが、思い立ったが吉日ですね。
なにしろ12クラスもあったし、卒業生だけで500人を超えてましたから。
古い名簿のなかでまだ半分くらいしか現住所がわからない。
それもみな住居表示が変わってしまっており、現在調査中。

その古い名簿をみていると、クラスのうち数名単位で固定電話がなかった頃です。
今とは隔世の感ありですね。
今ならメールで即刻やりとりできる環境でしょうが、当時は「呼び出し」が必要だったわけで。
もちろんメールはないので「手紙」でお互いのことをやりとりしたりと、まったくもってアナログ。

もう亡くなってしまった恩師や同級生も増えてきましたし、震災のことなど考えると会えるときに会っておけるならって気持ちになるのもわかります。

でもせっかくやれたとしても、どうしても日程があわなくって来られない人もでてくる。
それが心苦しいところでもあるので、これを機に地元や東京などで小さな集まりでも気軽にできるよう、ネット環境を整えてやりとりできるといいな、と思います。

がんばろうね、会長!

卒業当時、一世を風靡していたのはこれ↓

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2011/12/30

2011年のおわりに  雑記

いよいよ2011年のこすところあと24時間。

50代を突破し、また着実に歳を重ねているわけですが、最悪ともいえた2010年をのりこえた今年は、ずいぶんと世の中の不況感のなかでは健闘した一年だったかもしれません。

昨年は予想していたとはいえ春に勤めていた会社は倒産し、未払い給与などたいへんな目にあいつづけていたなか、ピースの調子はかんばしくない状態が続いたかと思えば、さっぽろの叔父が亡くなるなど、これでもかとパンチをくらい、最後は妻の店もクローズせざるをえない状況になり一年を終えるという、どちらかというとへこまされることの多かった年。
疲れがたまり精神的、肉体的にも限界がきそうな年でした。

それに比べれば今年はどんだけましだったことか。
もちろん僕の誕生日をおそったあの大震災と原発被害という未曾有の災害を経験した、歴史に残る年であったことには違いなく、その影響は被災地ではない我々にも少なからず影響はあったわけですが。

ピースは以前と変わらないくらい元気だし、夏にはひさしぶりに祖母に会うこともできたし、家族で過ごす時間がずいぶんと増えたし。
経済的にけして楽な状況ではないものの、ふるさとに住む旧知の友人からの贈り物やメッセージなど、本当に元気づけられることが多かった。

年始にたてた目標は必ずしも満足できる成果とはなっていないけど、少しは近づけた分だけ、状況的にはよしとしてもいいのかなと。
その分、来年に大きな成果がだせるようがんばらなくては。

皆様もどうかよい新年をお迎えください。
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2011/11/1

銀婚ですわ  雑記

今日この時間にうちらは結婚しました。

1986年11月1日 午後1時より市ヶ谷にて。

あれから25年もたってしまったなんて。月並みだけどTime Flies、光陰矢のごとし、時がたつと物忘れが多い、いやたつのは早い。

結婚式や披露宴、2次会に来ていただいた方々とのお付き合いも続いている方、いつのまにか疎遠になってしまった方、いろいろですがあれから25年たち、我々同様に皆さんの暮らしもそれぞれいろいろあったでしょうね。

私ら夫婦も人並みにそのあとすぐに新婚旅行いきました。
生れて初めての海外! といってもサイパンでしたが。

なにしろ人前で英語使うのも初めて、成田空港も初めて、スーツケースなんて持つのも初めて、ドル札も初めて、初めてづくしで緊張と興奮であっというまの5日間だったように思います。

慣れない英語だったのでグラスワインを頼んだつもりが、ボトルで出されて断ることもままならずそのまま飲んで、しこたま酔っ払ったりなんてこともありました。
とにかく交渉するすべをしらず、結構ツアーガイドのいうままだったような気もします。
今でこそなにもかも一人でどこへでも平気で行ってますが、当時は何も知らんかったね。

でも二人は若い(by ディックミネ&星玲子)じゃない?
怖いものはなにもない(笑)

旅行のスナップをまとめたアルバムを見ると、なんだか可笑しくって!

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1ドル160円くらいのころだったのでそこそこ円高感はありましたが(なにしろ1ドル360円固定相場制を知っている世代なので)、まさかそれが80円を切る時代になってしまうなぞ想像もしませんでしたね。皆さんにいただいたお祝いのお返し代わりにやたらと酒とタバコとチョコレートちゅう3種の神器みたいなお土産セットを買い込みました。
(当時はまだタバコを吸っていたので自分の分も)

あれから友人知人の結婚や出産をお祝いし、やがて父をはじめ何人かの親しい親戚、友人が亡くなったりと悲喜こもごもありましたが、我々も歳を重ねながら人生という舞台を演じ、鑑賞し続けるのでしょう。

今日は25年前、披露宴で人並みにやったキャンドルサービスの蝋燭を食卓で灯してみますかね(笑) どこか棚に眠っているはず。







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2011/8/22

祖父 66年たって  雑記

毎年お盆の時期は、戦争終結のタイミングと重なり、日本中で亡くなった家族へ思いをはせる時期ですね。
いつもそんなことを考えながら、バタバタと時間がすぎ、気がついたらあれからもう66年もたってしまっているという。

しかし、自分がどれだけ当時のこと、なにより家族のことをどれほど知っているかというと、たいへん心もとない。
自分から母や父、祖母に時どきに聞いたといえば聞いたのだけど、あえて突っ込んだ話などしないまま。時間だけが過ぎてきてしまったように思います。

今年103歳になる祖母に、そうした話を聞くにも、今はちょっと難しい。
だったらもっと早く、って後悔もあるけど、実際当時の状況はそれはあんまりな状況で、母や祖母にとって思い出すのも辛いし、それをあえて積極的に話をするのもしんどかったのが正直なところのような気がする。祖母の部屋に飾られていた祖父、叔父の写真を見ながら、そんな気がしました。
父が自分の戦時中の話をしたり、手紙に書いたりしたのも亡くなる直前のことでしたから。


断片だけを聞きかじっても、なんかそれ以上「それでどうしたの?」「なんでそうなったの?」など聞くのを躊躇してしまったり。


こないだ北海道へ帰省して、ひとつわかったことは祖父は徴兵されてすぐに沖縄へ派兵されたわけではなく、第24師団という部隊に入り、最初は満州にいたということ。
ほどなく米軍上陸を控えた沖縄へ転戦となり、それから2ヶ月後くらいに激戦のなか命を落としたらしい。

祖父の最期がどうだったのか、誰か知っている人はいたのだろうか?

でもNHKのドキュメンタリーで証言する生存者の方の話を聞くと、それはそれはあまりに壮絶すぎて、もしかしたら祖父もそうした境遇にあったから、僕らが初めて沖縄を訪ねたとき、天国から電話をかけてきたのかな、とも想像する。

そして大黒柱を失った農家の長男として、重圧を感じながら、現金収入をえるために電気工事の職についていた叔父は仕事中の事故で20歳という若さで命を落としてしまった。治療代にもことかき、大事な馬を売っても、当時のお粗末な治療ではかなわず亡くなってしまったのだけど。
その時の話は以前聞いたことがあり、あまりに悲惨だったので、これ以上ここでは書かないけど。

戦前から戦後を時代背景としたNHKの朝ドラ「おひさま」を見て、母は当時の自分の境遇と重ね合わさることが多く、終戦までの学校でのシーンには毎回涙して見ていたそうだ。

たとえフィクションであっても、庶民ひとりひとりに共通した事象が反映され、演出されたドラマだから、訴える力を持っているのでしょう。常に家族愛を見つめる脚本家、岡田恵和氏の力によるところも大きい。

ま、そんな重い話をほんの少しだけ聞くことができたこの夏は、少しだけいつもと違う夏だったのかもしれないな。

マイミクのかたには祖父、叔父の写真をアップしています。なかなかのイケメンですよ(笑)

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2011/7/2

六本木のビアガーデンにて  雑記

いろんなことがある年だけど、気がついたら半年すぎていた。。。

気持ち的には少々あせっている。けどあせってもしかたないので、粛々と。

出張前、勤めている会社の新人歓迎&オフィス開設一周年を記念?した呑み会があり、六本木で唯一のビアガーデンへ。

ここのテラスから見上げる六本木ヒルズの姿はなんだか傲慢ちきな感じがするけど、たしかにそこだけ際立っている。振り返るとスカイタワーツリーとかいう新しいタワーに存在感がゆらぎつつ、でも戦後復興のシンボルでもあった東京タワーの美しいフォルムは、地震でゆがんた頂上のアンテナに若干自信を失った悲しみを感じる。

そんな場所でわやわややっておりました。

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うん、たしかに普通のビアガーデンとは違うかもしれない。
写真が手振れしているのはなにか動揺することがあったのか?
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