2005/2/17

アレサと北朝鮮  音楽

朝の“痛勤電車”でのこと。
ここ1ヶ月風邪をこじらし喉の具合がわるい。咳がなかなかとまらんのだ。
僕の前に座っていた男性、どうも僕の咳が気にさわるらしく咳こむたびに『ちっ』と舌打ちや『うるせぇな』とぶつぶつつぶやいている。
なにも好きこのんで咳こんでいるわけではないが、込み合う電車内でははばかられることなんだろうか。
病人は乗るなというのがか彼の論理なのかもしれない。
どっちが病人だかわかんないのがわんさか乗合っているいつもの“痛勤電車”風景なのだ。これだけはどうにも馴染めない。
電車の窓にうつる自分の姿もどこかエゴイスティックだ。

さて喉がこんな調子だからこのところエイサーの歌もまともにできない。途中でむせてしまうのだ。
複式呼吸もできないで、喉で歌おうとするからいかんのだが。
昨夜のテレビでアレサ・フランクリンの60年代後期のライブのひとこまをやっていた。『Night Time 〜』を歌う姿に釘づけになってしまった。
人の声の持つ表現力や説得力のすばらしさを再認識した。
楽器はぜったいかなわない。
一方、今朝のニュースでみた北朝鮮の金正日誕生日を祝うセレモニー。お祝いを歌う歌手のそれは、あまりに機械的、無機質、そしてまっことに陳腐な歌。
こんなもんしか聞くことのできない北朝鮮の人たちは本当に不幸だ。
一生アレサはもちろん、美空ひばりだって、テレサ・テンだって、もちろんビートルズだって聴くことはできない人たちなのだ。

文革当時の中国では永いことテレサの歌はご法度だった。
彼女の父が台湾の軍人だった、という表向きの理由よりむしろ彼女の歌に感化されていく国民を恐れたのではないか、というのかもっぱらの定説。

でも人間の喜怒哀楽をものの見事に表現できる大衆歌謡は、ああいう独裁政治にとっては危険分子のひとつ。
大衆を欲望に目覚めさせる力を持っているのだから。
歴史は見事に証明していると思うよ。
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