問題な日本語p12-15
接頭辞「お」に関する考察。美化・尊敬語としての「お」は、多分僕らの認識するよりは大幅に生産性が低いものなんじゃないかと思う。「お」が付けられるかどうかは比較的偶発的語彙的な制限によるものだろう。歴史的には多分平安文学にも現れるので、用法の変化と共に使用される対照語彙も変化したのでは。ここで
お天気・お茶・お釣り・お寺
は「多くの人が自然に使う」だろうとし、
お金・お米・お味・お刺身・お煎餅・お水・お花
は「お」をつけない人も多いだろうという。そして
お醤油・おソース・お箸・お大根・お財布・お洋服・おカバン
は「男性はあまり使わないのでは」としている。
これは、実に微妙で筆者もべつに断定しているわけではない、あくまで筆者の内省的判断の域を出ないのは明確。個人差が大きい、とちゃんと述べていて僕の判断とはかなり違う。
wwwコーパスである程度数量的な調査も出来るかもしれないが、たぶん書き言葉と話し言葉でもここ大きく違いが出そうだし無駄ぽいので調べない。小説コーパスはなおさら「個人差」が出そうだし…。「何に「お」を付けやすく、何に付けにくいのか」は個人差が大きいと見ていいのでは。
さてそれでは、何がその「個人差」を決定するのか。またここの表題になるくらいだから「おビール」を不自然と考える人が多いのは何なのか、そうした観点の方が気になる。
後者については「外来語に「お」をつけるなんて」という説明がされるかもしれないが、そもそもそれじゃなんで外来語に「お」を付けられないのか。「おフランス」は不自然でも「フランス語」という造語が可能なのは何故か。「お電話」みたいな漢字語は大丈夫なのは何故か。その語の定着度?それは何が要因なのか?カタカナ表記、という表記による影響も言語観に影響がありそうだが、それじゃ「お」はどのような条件下で接頭可能とみるべきか。
そもそも接頭辞の少ない日本語に、「お」の存在が不思議。そもそも漢語の影響?そもそも漢語?あんまし調べずにこう書いてしまった。今後の課題が増えた。
語彙的に、分析しにくくなる例もある。「おにぎり」「おもちゃ」など。使いやすさとはその発展段階を表わしているのでは。
「お持ちする」の「お〜する」については現在、謙譲語〜美化語として変化の段階にあり、不自然に感じる人もいるとしている。金田一京助はこれを謙譲語とするのは間違いだと指摘したという。現在は結構フツウに使用されるように感じる。
美化語として筆者が述べているのは、「お休みします」という表現について。相手に及ばない動作に使用される例は美化語であろうという主張である。これは謙譲語があくまで自分を低めるものだと解釈するか(非一般的?)、休むことによる被害が相手に及ぶ、というように考えれば(日本語自動詞がどんなものか再考しなきゃだが)なんとかなるまいか。てゆーか、先に「お休み(だ)」が語彙的に確立し、それが動詞化したとは考えられないんだろうか。
あ、ちょっと現代語の敬語表現の新しい分類を勉強しなおさなきゃ…

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